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『平家物語』忠度の都落ち②現代語訳・解説

 薩摩守のたまひ尊敬 作者→忠度けるは、「年ごろ申し承つ(謙譲 忠度→俊成)て後、おろかならぬ御ことに思ひまゐらせ謙譲 忠度→俊成 候へ丁寧 忠度→俊成ども、この二、三年は、京都の騒ぎ、国々の乱れ、しかしながら当家の身の上のことに候ふ丁寧 忠度→俊成間、疎略を存ぜ(謙譲 忠度→俊成)ずといへども、常に参り寄る(謙譲 忠度→俊成)ことも候は(丁寧 忠度→俊成)ず。

 薩摩守がおっしゃったことには、「長年の間、和歌をお教えいただいて後は、大切なことにと思い申しておりますけれども、この二、三年は、京都の騒ぎや国々の反乱、すべて平家の身の上のことでございますので、(歌道を)おろそかに思っていたわけではありませんが、いつも参上することもできませんでした。

○長年申し承って…忠度が何年も和歌の指導を俊成から受けたこと。

○おろかならぬ御こと…忠度が俊成のことを並一通りではない大切なものに思っている。(和歌のことを、ととることもある。)

・おろかなり…おろそかだ、いい加減だ。

・まゐらす…謙譲の補助動詞。

・しかしながら…すべて、ことごとく。

○当家…平家のこと。

・疎略…おろそかに扱うこと

・存ず…存じます、思います。(「思ふ」の謙譲語)

君すでに都を出でさせ(尊敬「さす」用) たまひ(尊敬 忠度→天皇) (完了「ぬ」終)。一門の運命はや尽き候ひ(丁寧 忠度→俊成) (完了「ぬ」終)

安徳天皇はすでに都をお出でになりました。平家一門の運命はもはや尽きてしまいました。

○君…安徳天皇のこと。平家とともに都落ちし、その後入水して亡くなった。

○一門の~…平家の運命はすでに尽きたことを悟り、自身の死も覚悟している。

撰集のあるべき(推量「べし」体)承り(謙譲 忠度→俊成) 候ひ(丁寧 忠度→俊成) しか(過去「き」已)ば、生涯の面目に、一首なり(断定「なり」終)とも御恩を蒙ら(意志「む」終 ウ音便)存じ (謙譲 忠度→俊成)候ひ(丁寧 忠度→俊成) (過去「き」体)に、やがて世の乱れ出できて、その沙汰なく候ふ(丁寧 忠度→俊成)条、ただ一身の嘆きと存じ(謙譲 忠度→俊成) 候ふ(丁寧 忠度→俊成)

(勅撰集の)撰集があるだろうということをお聞きしておりましたので、生涯の名誉として、一首であっても(勅撰集に自分の歌を入れていただくという)ご恩情を賜りたいと考えておりましたのに、すぐに世の中に戦乱が起こって、その沙汰(撰集)がなくなったことは、この上ない嘆きと思っております。

・勅撰集…天皇の命令によって編纂された歌集。藤原俊成は勅撰集を編纂する立場だった。

・承る…お聞きする(「聞く」の尊敬語)

〇御恩を蒙ら…俊成の恩情を受けて、勅撰集に自分の歌を入れてもらうこと。

世静まり候ひ(丁寧 忠度→俊成) (強意「ぬ」未) ば、勅撰の御沙汰候は(丁寧 忠度→俊成) んず(推量「むず」終) らん(現在推量「らむ」終)

世の中が静まりましたならば、勅撰集の御指示があるでしょう。

・~んずらむ…~だろう

これに候ふ(丁寧 忠度→俊成)巻物のうちに、さり(強意「ぬ」終) べき(適当「べし」体)もの候は(丁寧 忠度→俊成)ば、一首なり(断定「なり」終)とも御恩を蒙つて、草の陰にてもうれしと存じ(謙譲 忠度→俊成) 候は(丁寧 忠度→体)ば、遠き御守りでこそ 候は(謙譲 忠度→俊成) んずれ(意志「むず」已)。」とて、

ここにあります巻物の中に、ふさわしい歌がございましたら、一首でもご恩情を賜り(入集していただいて)、草葉の陰ででもうれしく思うことができますれば、遠いあの世から、末長く(あなたを)お守りする者としておりましょう。」と言って、

・草の陰にて…墓の下で、あの世で。

日ごろ詠みおか(尊敬「る」用) たる(完了「たり」体)歌どものなかに、秀歌とおぼしきを百余首書き集められ尊敬「らる」用) たる(存続「たり」体)巻物を、今はとて打つ立た(尊敬「る」用) ける(過去「けり」体)時、これを取つて持た(尊敬「る」用) たり(存続「たり」用) (過去「き」体)が、鎧の引き合はせより取り出でて、俊成卿に奉る(謙譲 作者→俊成)

普段詠んでおかれていた多くの歌の中で、秀歌と思われるものを百首あまり書き集められていた巻物を、「今は(これまで)」と思って出発された時、これを取って持っておられたが、それを鎧の引き合わせから取り出して、俊成卿に差し上げる。

・奉る…差し上げる(「与ふ」の謙譲語)

『平家物語』忠度の都落ち①

『平家物語』忠度の都落ち③

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