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『史記』荊軻③図窮まりて匕首見はる 書き下し文・現代語訳

遂至秦、持千金之資幣物、厚遺秦王寵臣中庶子蒙嘉。

遂に秦に至り、千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の(ちよう)(しん)(ちゆう)(しよ)()(もう)()(おく)る。

(荊軻は)ついに秦に着き、千金に値する贈り物を用意して、丁重に秦王の寵臣である中庶子の蒙嘉に贈った。

嘉為先言於秦王曰、「燕王誠振怖大王之威、不敢挙兵以逆軍吏。

(ため)()づ秦王に言ひて曰はく、「燕王 誠に大王の威に振怖し、敢へて兵を挙げて以つて軍吏に逆らはず。

蒙嘉は荊軻のためにまず秦王に言うことには「燕王は心から大王のご威光に震えおののき、決して兵を挙げわが軍に逆らおうとしません。

願挙国為内臣、比諸侯之列、給貢職如郡県而得奉守先王之宗廟。

(ねが)はくは(くに)()げて内臣(ないしん)()り、諸侯(しよこう)(れつ)()し、(こう)(しよく)(きふ)すること郡県(ぐんけん)のごとくにして、先王(せんわう)(そう)(べう)奉守(ほうしゆ)するを()んと。

国を挙げて大王の臣下となり、他の諸侯の列に連なり、貢ぎ物を郡県と同じように差し出し、先王の宗廟の祭りを守りたいと願っております。

○秦に従属しながら、燕の先王の宗廟を守って燕を国として維持したい。「先王」とは「燕の先王」のこと。

恐懼不敢自陳、謹斬樊於期之頭、及献燕督亢之地図、函封、燕王拝送于庭、使使以聞大王。唯大王命之。」

(きよう)()して敢へて自ら()べず、謹んで(はん)()()の頭を斬り、及び燕の督亢(とくかう)の地図を献じ、函封(かんぷう)して、燕王(てい)に拝送し、使ひをして大王に()(ぶん)せしむ。唯だ大王 之に命ぜよ。」と。

(燕王は)恐れのあまり自ら申し上げることができず、謹んで樊於期の首を切り、また燕の督亢の地図を献上しようと箱に収め、燕王は宮廷で(荊軻たちを)丁重に送り出し、この使者に命じて大王に申し上げさせようとしております。どうか大王、ご下命をいただきたい。」と。

○樊於期…もと秦の将軍で燕に亡命しており、秦に一族を殺された恨みがある。復讐するために自ら首を切って死んだ。(自分の首を切って秦に差し出すことで、秦に従属することを信用させようとした。)

○拝送…相手の国を重んじて、使者を丁重に送り出す。

秦王聞之大喜、乃朝服設九賓、見燕使者咸陽宮。

秦王之を聞きて大いに喜び、(すなは)ち朝服して九賓(きうひん)を設け、燕の使者を咸陽宮に見る。

秦王はこれを聞いて大いに喜び、そこで礼装して賓客を迎える最高の礼を調えて、燕の使者を咸陽の宮殿で引見した。

荊軻奉樊於期頭函、而秦舞陽奉地図柙。以次進、至陛。

荊軻 樊於期の頭の(はこ)を奉じ、而して秦舞陽地図の(はこ)を奉ず。次を以つて進み、(きざはし)に至る。

荊軻は樊於期の首の箱を捧げ持ち、秦舞陽は地図の箱を捧げた。正使・副使の順番で進み、階段まで進んだ。

以次…正・副の順番に従って。

秦舞陽色変振恐。群臣怪之。

秦舞陽 色変じ(しん)(きよう)す。群臣之を怪しむ。

秦舞陽の顔色が変わり震えて恐れた。群臣たちはこれを不審に思った。

・色…顔色。

荊軻顧笑舞陽、前謝曰、「北蕃蛮夷之鄙人、未嘗見天子。故振慴。

荊軻 顧みて舞陽を笑ひ、(すす)みて謝して曰はく、「北蕃(ほくばん)(ばん)()()(じん)、未だ嘗て天子に(まみ)えず。故に振慴(しんせふ)す。

荊軻は舞陽を振り返って見て笑い、進み出て謝罪することには「北方野蛮の田舎者(=秦舞陽)は、これまで天子にお目にかかったことがありません。そのためにこのように震え恐れております。

・未嘗~…「未だ嘗て~ず」これまでに~したことがない。

願大王少仮借之、使得畢使於前。」

願はくは大王少しく之を()(しや)し、使ひを前に()ふるを得しめよ。」と。

どうか大王様、しばらくはお許しになり、使者としての役目を御前にて果たさせていただきたく存じます。」と申し上げた。

・仮借…大目に見る、見逃す。(現代日本語でも使います。)

・畢使…使者としての役目を果たす。

『史記』荊軻②

『史記』荊軻④

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