夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。
夢よりもはかなかった(亡き為尊親王との)男女の仲を、嘆き悲しみながら日々を過ごすうちに、陰暦四月十日余りにもなったので、木の下はだんだんと暗くなっていく。
・世の中…男女の仲。
○作者和泉式部の恋人であった為尊親王が前年の六月に亡くなっている。その悲しみから抜け出せずにいる。
○旧暦では4~6月が夏。初夏の季節で、葉が茂っていき木の下が暗くなっていく。新しく生長していく自然と、はかなく亡くなった親王は対照的である。
築土の上の草青やかなるも、人はことに目もとどめぬを、あはれと眺むるほどに、
築地の上の草が青々しているのも、人はとりたてて目も留めないが、しみじみと物思いにふけってぼんやり見ていると、
・眺む…(もの思いに沈んで)ぼんやりと見る。
近き透垣のもとに人のけはひすれば、誰ならむと思ふほどに、故宮に候ひし小舎人童なりけり。
近くの透垣の辺りに人のいる感じがするので、誰だろうかと思っていると、亡き為尊親王にお仕えしていた小舎人童であった。
・透垣…板と板の間を少しあけて並べて、向こう側が透けて見えるようにした垣根。
・候ふ…お仕えする(謙譲語)。
※「候ふ」には丁寧語の用法もあるが、ここでは謙譲語。
・小舎人童…貴人に仕えて雑用をする少年。
あはれにもののおぼゆるほどに来たれば、「などか久しく見えざりつる。遠ざかる昔の名残にも思ふを。」など言はすれば、
しみじみと感じられるところに来たので、「どうして長いこと姿を見せなかったのか。(あなたを)遠くなっていく昔をしのぶよすがにも思っているのに。」などと(侍女に)言わせると、
○為尊親王が亡くなって、その思い出が日々薄れていく中で、小舎人童その思い出のよりどころであるということ。
・言はすれば…「すれ」は使役の助動詞「す」の已然形。作者(和泉式部)が直接言葉を伝えているのではなく、侍女を通して伝えている。
※貴族が言葉を伝えたり、手紙を渡したりするときには従者にやらせるが、ここのようにわざわざ使役の助動詞をつかって明示することはあまりない。
「そのことと候はでは、なれなれしきさまにやと、慎ましう候ふうちに、日ごろは山寺にまかり歩きて、
(童は)「これといった用事がございませんことには、(作者のもとを訪れるのは)なれなれしいようであろうかと、遠慮しておりますうちに、ここ最近は山寺に出歩いております。
・なれなれしきさまにや→下に「候はむ」などが省略されている。
・まかり歩きてなむ→下に「候ふ」などが省略されている。「なむ」は強意の係助詞。
○「まかる」はここでは謙譲語Ⅱや丁重語などと呼ばれる用法で、「行く」を丁寧な言い方にしたもの。敬意の対象は話している相手の作者(和泉式部)。高校の先生によって説明が異なるので注意。
いとたよりなく、つれづれに思ひ給う らるれば、御代はりにも見奉らむとてなむ、帥の宮に参りて候ふ。」と語る。
たいして頼れるあてもなく、所在なく思われますので、(亡き宮様の)御身代わりにも見申し上げようと、(弟宮の)帥宮様(=敦道親王)に御奉公いたしております。」と語る。
・たよりなし…主人(為尊親王)が亡くなり、生活の手立てを失った。
・つれづれなり…手持ちぶさたで暇だ、所在ない。
○思ひ給うらるれば…「給う」はハ行下二段活用動詞「給ふ」の未然形「給へ」がウ音便になったもの。
○下二段活用の「給ふ」は謙譲語で、「~ております、~させていただく」などと訳す。敬意の対象は聞き手(ここでは作者)。
※最後の「候ふ」は謙譲語(お仕えする)で帥の宮への敬意ととることもある。
・帥の宮…敦道親王。為尊親王の弟。
「いとよきことにこそあなれ。
(私が)「たいへんよいことのようですね
あなれ…「あ」はラ変動詞「あり」の連体形「ある」の撥音便「あん」の「ん」の無表記。
※「あるなれ」→「あんなれ」・「あなれ」