二十三日。八木のやすのりといふ人あり。この人、国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざ なり。
二十三日。八木のやすのりという人がいる。この人は、国司の役所で必ずしも召し使ったりする人でもないそうである。
〇ざ なり=ざんなり←ざるなり
「ざ」…打消の助動詞「ず」の連体形「ざる」の撥音便「ざん」の「ん」が表記されない形。
「なり」…伝聞推定の助動詞「なり」終止形。
※撥音便…発音しやすいように撥音(ん)に変化したもの。
※「あらざなり」を「あらず・ある・なり」の略として、「なり」を断定の助動詞ととる説もある。
これぞ、たたはしきやうにて馬のはなむけしたる。守柄に やあらむ、国人の心の常として、今はとて見えざ なるを、心ある者は、恥ぢずになむ来ける。
この男が、いかめしく立派な様子で餞別をしてくれた。国守の人柄(がよいため)であろうか、田舎の人の普通の人情として、今は別れというときに姿を見せないそうだが、真心のある人は、周りの目を気にせずにやって来た。
・国守…作者・紀貫之のこと。
〇普通だったら任期を終えて去っていく人はもう関係がないので、わざわざかかわらないそうだが、この八木のやすのりという人は去っていく紀貫之に餞別をしてくれた。国守の人柄がよいためだろうか、と自慢するようなことを書いている。
これは、物によりてほむるに しもあらず。
これは、餞別の贈り物をもらったから(八木やすのりを)ほめているわけではない。
二十四日。講師、馬のはなむけしに出でませり。ありとある上・下、童まで酔ひしれて、一文字をだに知らぬ者、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。
二十四日。国分寺の僧侶が、餞別をしにいらっしゃった。身分の高い者も低い者もすべて、子供までがすっかり酔っぱらって、「一」という文字をさえ知らない者が、その足は「十」文字に踏んで遊んでいる。
※「知らぬものしが足」の「し」の解釈は諸説ある。ここでは代名詞(それ、その)として訳してあります。
・~ます…尊敬の意味を添える働き。講師に対する敬意を示している。
「八木のやすのり」や新国守には敬意は向けられておらず、講師に対しては敬意を向けている。
※一説には、この後の新国守の招待を冷淡に扱う意図から、講師に対して丁寧な表現をした。
・だに…副助詞:①~さえ(類推) ②せめて~だけでも(最小限の希望)
ここでは①。「一という文字さえ知らない者が、(さけで酔っ払ってふらふらし)足で十という文字を書いている」。「一」さえ知らないなら「十」は当然知らないはずなのに、十という文字を書いているようで面白い、ということ。
二十五日。守の館より、呼びに文持て来た なり。呼ばれて至りて、日一日、夜一夜、とかく遊ぶやうにて明けにけり。
二十五日。(新任の)国守の官舎から、呼びに手紙を持って来たそうだ。呼ばれて行って、一日中、一晩中、あれこれ管弦の遊びのようなことをして夜が明けてしまった。
・面倒だったか、「呼ばれて」という受身表現に不満げな様子がみえる。
〇たなり=たんなり←たるなり
「た」は完了の助動詞「たり」の連体形「たる」の撥音便「たん」の無表記。
二十六日。なほ守の館にて、饗応し、ののしりて、郎等までに物かづけたり。唐詩、声あげて言ひけり。和歌、主も客人も、こと人も言ひ合へりけり。唐詩はこれにえ書かず。
二十六日。やはろ新国守の官舎で、(新国守は)もてなしをし、大騒ぎして、従者にまで物を与えた。漢詩を、声を上げて詠んだ。和歌は、主人も客も、ほかの人もよみ合っていた。漢詩はこれには書くことができない。
・なほ…やはり、依然として
・饗応す…もてなしをする
・かづく:ここは下二段活用動詞「かづく」で「与える」という意味。
※四段活用動詞「かづく」は「いただく」という意味。
・え~ず…~できない。
〇作者は女の従者という設定。女は漢文を書かないので、漢詩については書くことができない。
和歌、主の守のよめりける、
都出でて君に会はむと来し ものを来しかひもなく別れぬる かな
となむありければ、
和歌は、主人の国守がよんだ歌は、
都を出てあなたに会おうと来たのに、来たかいもなく別れてしまうことだなあ。
とよんだので、
・ものを…逆接確定条件の接続助詞。~のに、~のになあ。
帰る前の守のよめりける、
白妙の波路を遠く行き交ひて我に似べきはたれならなくに
帰る前国守がよんだ歌は、
白く波の立つ海路を遠くから入れ違いにやって来て、私に似るはずなのはあなた以外の誰でもないのだなあ。
・「白妙の」が「波」を導く枕詞。
※枕詞とは、和歌に使われる表現で決まり文句のようなもの。「白妙の」と「波」がよくセットになって使われる。
・~なくに…ないことだなあ。~ないのに。