欧陽脩『売油翁』書き下し文・現代語訳・解説|テスト予想問題

目次
  1. 原文・書き下し文・現代語訳
  2. 康粛はなぜ最後に「笑」ったのか
  3. 「此与荘生所謂解牛斲輪者何異」の意味
  4. 『売油翁』テスト予想問題
  5. まとめ

欧陽脩『売油翁』の原文・書き下し文・現代語訳・重要語句・内容をわかりやすく解説します。

弓の名人として自分の腕前を誇っていた陳康粛公と、油を売る名もない老人とのやり取りを描いた文章です。

物語の中心となるのは、売油翁が繰り返す「但手熟爾(ただ手の熟せるのみ)」という言葉です。

売油翁は、康粛の見事な弓術を否定しているわけではありません。しかし、それを特別な才能として見るのではなく、長い修練によって身についた技術だと考えています。

原文・書き下し文・現代語訳

陳康粛公尭咨善射、当世無双。公亦以此自矜。

陳康粛公尭咨(ちんかうしゆくこうげうし)射(しや)を善(よ)くし、当世無双(たうせいむさう)なり。公も亦(また)此(これ)を以(もつ)て自(みづか)ら矜(ほこ)る。

陳康粛公尭咨は弓術に優れ、その時代には並ぶ者がいなかった。康粛公自身も、その腕前を誇りに思っていた。

・善射…弓術が上手である。

・当世無双…その時代に並ぶ者がいない。

・自矜…自分で誇りに思う、自慢する。

康粛は実際に非常に優れた弓の腕前を持っています。

しかし同時に、「自矜」=自分の技術を誇っている人物でもあります。

嘗射於家圃。有売油翁、釈担而立、睨之久而不去。

嘗(かつ)て家圃(かほ)に射(い)る。売油翁(ばいゆをう)有り、担(に)を釈(お)きて立ち、之を睨(み)ること久(ひさ)しくして去らず。

ある時、康粛は家の畑にある射場で弓を射ていた。そこへ油売りの老人がやって来て、担いでいた荷物を下ろして立ち止まり、康粛が弓を射る様子を長い間じっと見ながら立ち去ろうとしなかった。

・嘗…以前、ある時。

・家圃…家の畑。ここでは弓の練習場。

・釈担…担いでいた荷物を下ろす。

・睨…じっと見る。

見其発矢十中八九、但微頷之。

其の矢を発(はつ)し、十に八九を中(あ)つるを見て、但(た)だ微(すこ)しく之に頷(うなづ)くのみ。

康粛が矢を放ち、十本のうち八、九本を的に当てるのを見ても、老人はただ少しうなずくだけであった。

・中…「あつ」。命中させる。

・但~のみ…ただ~だけ。

「但微頷之」

売油翁は、康粛の弓術が優れていること自体は認めています。

しかし、十本中八、九本を命中させても「ただ少しうなずくだけ」です。

つまり、なかなかの腕前だとは認めているが、驚くほど特別な能力だとは考えていないことが表されています。

康粛問曰、「汝亦知射乎。吾射不亦精乎。」

康粛問ひて曰(い)はく、「汝(なんぢ)も亦(また)射(しや)を知るか。吾(わ)が射は亦精(せい)ならずや。」と。

康粛は老人に尋ねた。「おまえも弓術のことが分かるのか。私の弓の腕前は、なんと正確ではないか。」と。

不亦~乎

書き下し:亦また~ならずや

この文では、「なんと~ではないか」という感嘆を表す。

康粛は、自分の腕前をほめる答えが返ってくることを期待しています。

翁曰、「無他。但手熟爾。」

翁(をう)曰(い)はく、「他(ほか)無し。但(た)だ手の熟(じゆく)せるのみ。」と。

老人は言った。「別に特別なことではありません。ただ手が慣れているだけです。」と。

・無他…他でもない、別に特別なことではない。

「但手熟爾」

「但手熟爾」は、「ただ手が熟練しているだけだ」という意味。

売油翁は康粛の技術そのものを否定しているのではありません。

その見事な弓術も、特別な力ではなく、長年の練習によって体得したものだ考えている。

康粛忿然曰、「爾安敢軽吾射。」

康粛忿然(ふんぜん)として曰(い)はく、「爾(なんぢ)安(いづ)くんぞ敢(あ)へて吾(わ)が射(しや)を軽(かろ)んずるや。」と。

康粛は腹を立てて言った。「おまえはどうして、あえて私の弓術を軽く見るのか。」と。

・忿然…怒る様子、腹を立てる様子。

・安くんぞ~…どうして~か。

・敢へて…進んで、あえて、わざわざ。

・軽んず…軽く見る、あなどる。

康粛はなぜ「忿然」としたのか

康粛は「当世無双」と言われるほどの弓術を持ち、自分自身でも強く誇りに思っていました。

ところが売油翁は、その技術を「ただ手が慣れているだけ」と言いました。

康粛は、自分が特別だと考えていた弓術を軽く評価されたと思い、自尊心を傷つけられて怒った。

翁曰、「以我酌油知之。」

翁(をう)曰(い)はく、「我が油を酌(く)むを以(もつ)て之を知る。」と。

老人は言った。「私が油を注ぐ仕事をしている経験から、そのことが分かるのです。」と。

・之…康粛の弓術も、ただ熟練した結果にすぎないということ。

乃取一葫蘆置於地、以銭覆其口、徐以杓酌油瀝之。

乃(すなは)ち一(いつ)の葫蘆(ころ)を取りて、地に置き、銭を以(もつ)て其の口を覆(おほ)ひ、徐(おもむ)ろに杓(しやく)を以て油を酌(く)み之を瀝(したた)らす。

そこで老人は一つのひょうたんを取り出して地面に置き、銭でその口を覆った。そして、ゆっくりとひしゃくで油をくみ、ひょうたんへ注いだ。

・乃ち…そこで。

・葫蘆…ひょうたん。

・徐ろに…ゆっくりと。

・瀝らす…したたらせる、注ぐ。

自銭孔入而銭不湿。

銭孔(せんこう)より入り、而(しか)も銭は湿(うるほ)はず。

油は銭の小さな穴を通ってひょうたんの中に入ったが、銭そのものは少しも油でぬれなかった。

老人は、銭の中央に開いた小さな穴だけを通して油を注ぎ、銭をぬらしませんでした。

これは非常に高度な技術です。

しかし老人自身は、その技術を特別な才能として誇ろうとはしません。

因曰、「我亦無他。惟手熟爾。」

因(よ)りて曰(い)はく、「我(われ)も亦(また)他(ほか)無し。惟(た)だ手の熟(じゆく)せるのみ。」と。

そこで老人は言った。「私の場合も別に特別なことではありません。ただ手が慣れているだけなのです。」と。

売油翁は自分自身の高度な油注ぎの技術についても「ただ熟練しただけ」と説明しています。

康粛笑而遣之。

康粛笑(わら)ひて之を遣(や)る。

康粛は笑って、老人を帰してやった。

康粛はなぜ最後に「笑」ったのか

康粛は、老人が実際に見事な油注ぎをしてみせたことで、

「自分の弓術も、老人の油を注ぐ技術と同じように、長年の修練によって身についたものなのだ」

と認めざるを得なくなりました。

したがってここには、一本取られたという思い、少しばつの悪い気持ち、そして老人の言うことへの納得が込められていると考えられます。

「此与荘生所謂解牛斲輪者何異」の意味

教材によっては、物語の最後に作者の次の言葉まで掲載されています。

此与荘生所謂解牛斲輪者何異。

此(こ)れ荘生(さうせい)の所謂(いはゆる)牛を解(と)き輪を斲(き)る者と何(なん)ぞ異(こと)ならんや。

この話は、荘子が述べている「牛を解体する者」や「車輪を削る者」の話と、どうして異なるだろうか。いや、同じことである。

・荘生…荘子。

・所謂…「いはゆる」。いわゆる。

・何ぞ~んや…どうして~だろうか、いや~ではない。

「解牛」「斲輪」と売油翁の共通点

『荘子』の「解牛」「斲輪」も、長年一つの技術を繰り返し実践し、その技を深く体得した人物を扱う話です。

売油翁の話も同じように、修練を積み重ねることで技術が身体になじみ、自在に扱える境地へ達することを示しています。

『売油翁』テスト予想問題

問1 「当世無双」とはどのような意味か。
その時代に、康粛の弓術に並ぶほどの者がいなかったという意味。
問2 「見其発矢十中八九、但微頷之」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
書き下し文:其の矢を発し、十に八九を中つるを見て、但だ微しく之に頷くのみ。
現代語訳:康粛が矢を放ち、十本のうち八、九本を的に当てるのを見ても、老人はただ少しうなずくだけであった。
問3 「但微頷之」には、売油翁のどのような気持ちが表れているか。
康粛の腕前を一応は認めているが、驚くほど特別な能力だとは考えていない気持ち。
問4 「汝亦知射乎。吾射不亦精乎」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
書き下し文:汝も亦射を知るか。吾が射は亦精ならずや。
現代語訳:おまえも弓術を知っているのか。私の弓の腕前はなんと正確ではないか。
問5 康粛は「吾射不亦精乎」と尋ねることで、売油翁からどのような返答を期待していたと考えられるか。
自分の弓術が非常にすばらしいと称賛する返答。
問6 「無他。但手熟爾」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
書き下し文:他無し。但だ手の熟せるのみ。
現代語訳:別に特別なことではありません。ただ手が慣れているだけです。
問7 康粛はなぜ「忿然」としたのか。
自分は「当世無双」といわれる弓術を誇りに思っていたのに、売油翁から「ただ手が熟練しているだけ」と言われ、自分の技術を軽く見られたと感じたから。
問8 「爾安敢軽吾射」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
書き下し文:爾安くんぞ敢へて吾が射を軽んずるや。
現代語訳:おまえはどうして、あえて私の弓術を軽く見るのか。
問9 「我亦無他。惟手熟爾」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
書き下し文:我も亦他無し。惟だ手の熟せるのみ。
現代語訳:私の場合も別に特別なことではない。ただ手が慣れているだけである。
問10 「康粛笑而遣之」とあるが、このとき康粛はどのような気持ちだったと考えられるか。
売油翁の実演によってその言葉が道理にかなっていると分かり、自分の弓術も熟練の結果なのだと納得し、一本取られたと思う気持ち。
問11 「此与荘生所謂解牛斲輪者何異」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
書き下し文:此れ荘生の所謂牛を解き輪を斲る者と何ぞ異ならんや。
現代語訳:この話は、荘子のいう「牛を解体する者」や「車輪を削る者」の話と、どうして異なるだろうか。いや、同じことである。
問12 次の語の読みを現代仮名遣いで答えよ。「嘗て」「中つる」「徐ろに」「所謂」
かつて・あつる・おもむろに・いわゆる

まとめ

『売油翁』では、当世無双の弓術を持つ康粛と、見事な油注ぎの技術を持つ売油翁が対照的に描かれています。

康粛は自分の技術を誇りますが、売油翁は自分の高度な技術についても「惟手熟爾」=ただ熟練しただけだと言います。

その実演を見た康粛は、老人の言葉が正しいことを認めざるを得ませんでした。

この文章では、優れた技術は繰り返しの修練によって身につくこと、そしてさらに、習熟することで単なる技術を超えた自在な境地へ達することが示されています。