都落ちした平家の武将・平忠度が、いったん都へ引き返し、和歌の師である藤原俊成のもとを訪れる場面です。
源義仲は平家の軍勢を越中(現在の富山県)の倶利伽羅谷で破り、都へ攻め上りました。平家は安徳天皇を奉じて都を捨て、西へ向かいます。平家一門の忠度も都を去りましたが、ある目的のために再び都へ引き返します。
登場人物
| 人物 | 説明 |
|---|---|
| 薩摩守忠度 | 平忠度。平家一門の武将で、和歌にも優れていた。 |
| 五条の三位俊成卿 | 藤原俊成。忠度の和歌の師。のちに勅撰和歌集『千載集』の撰者となる。 |
現代語訳・敬語・助動詞・解説
薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん、侍五騎、童一人、我が身ともに七騎取つて返し、五条の三位俊成卿の宿所におはして見たまへば、門戸を閉ぢて開かず。
薩摩守忠度は、どこから帰ってこられたのだろうか、侍五騎と童一人、自分自身と合わせて七騎で引き返し、五条の三位俊成卿の屋敷にいらっしゃってご覧になると、門の扉を閉じていて開かない。
・薩摩守忠度…平忠度。平清盛の異母弟。
・五条の三位俊成卿…藤原俊成。忠度の和歌の師。
「いづくよりや帰られたりけむ」には、語り手の感想が挿入されている。
忠度が平家の一行から離れ、どこから都へ引き返してきたのだろうか、と語り手が推量しています。
○忠度がすでに都落ちしたにもかかわらず、危険を冒して都へ引き返してきた
「忠度。」と名のりたまへば、「落人帰り来たり。」とて、その内騒ぎあへり。
「忠度(が参りました)。」と名乗りなさると、「落人が帰ってきた。」と言って、屋敷の中では人々が騒ぎ合っている。
・落人…「おちうど」。戦に負けて逃げていく人。
なぜ屋敷の中が騒いだのか。
平家は源義仲に追われて都を捨てたばかりです。その平家の武将である忠度が突然戻ってきたため、屋敷の人々は忠度が乱暴を働くのではないかと恐れたと考えられます。
薩摩守馬より下り、みづから高らかにのたまひけるは、「別の子細候はず。三位殿に申すべきことあつて、忠度が帰り参つて候ふ。門を開かれずとも、この際まで立ち寄らせたまへ。」とのたまへば、
薩摩守は馬から下り、自ら声高らかにおっしゃることには、「私が参ったのは、特別な事情があるわけではありません。三位殿に申し上げたいことがあって、忠度が帰って参りました。門をお開けにならないとしても、この門の近くまでお立ち寄りください。」とおっしゃると、
・のたまふ…おっしゃる。「言ふ」の尊敬語。
・別の子細候はず…特別な事情があるわけではありません。「候ふ」は丁寧語で、忠度から屋敷内の人々への敬意。
・この際…この門の近く、このあたり。
忠度は何を求めているのか。
忠度は、門を開けて対面することまでは求めず、せめて俊成に声の届くところまで来てもらい、話を聞いてほしいと願っています。
俊成卿、「さることあるらん。その人ならば苦しかるまじ。入れ申せ。」とて、門を開けて対面あり。事の体何となうあはれなり。
俊成卿は、「忠度が戻って来られたのには、しかるべき事情があるのだろう。その人ならば差し支えはないだろう。お入れ申し上げろ。」と言って、門を開けてお会いになった。その場の様子は、すべてにわたってなんとなく感慨深いものである。
・さること…忠度が都へ戻ってきた事情。
・苦し…ここでは「差し支えがある」の意味。「苦しかるまじ」で「差し支えはないだろう」。
・あはれなり…しみじみと心を動かされる、感慨深い。
なぜ俊成は門を開けたのか。
忠度の人柄を知っていた俊成は、忠度が危険を冒して戻ってきたのには事情があると考えました。また、忠度が平家一門の滅亡と自分の死を覚悟し、最後の思いを伝えに来たことを感じ取ったため、門を開けて対面したと考えられます。
「事の体何となうあはれなり」
都を追われ、死を覚悟した平家の武将・忠度と、その和歌の師である俊成が再会する場面です。忠度の置かれた状況や二人の関係を踏まえて、語り手はその場全体を「何ともいえず感慨深い」と表現しています。
忠度が都へ戻った理由
この①の段階では、忠度が俊成に「申すべきこと」があることだけが示されています。続く場面で、その目的が明らかになります。
忠度は武将であると同時に歌人でもあり、俊成から長年和歌の指導を受けていました。自分の死が迫っていることを悟る中で、和歌に関する最後の願いを俊成に託すため、命の危険を冒して都へ戻ったのです。
テスト予想問題
問1 「落人」とはどのような人か。
問2 「『落人帰り来たり。』とて、その内騒ぎあへり。」とあるが、屋敷の人々が騒いだのはなぜか。
問3 「別の子細候はず」を現代語訳し、「候ふ」の敬語の種類と敬意の方向を答えよ。
「候ふ」は丁寧語で、忠度から屋敷内の人々への敬意。