はじめよりおしなべての上宮仕へし たまふ べき きは に は あら ざり き。
(この若宮の母君・桐壺更衣は)始めから並々の(宮仕えの女官がする、帝の)おそば勤めをなさるような(軽い)身分ではなかった。
・おしなべて…並一通り、ごく普通の
・際…身分
○普段から帝のそばに身の回りの世話をするのは、身分の低い女官の役目であった。
○女御・更衣は普段は自分の部屋にいて、呼ばれたときに帝のところへ向かう。普段からずっと帝のそばにいるわけではなかった。
おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、
世間からも厚く尊敬され、身分の高い人のように見えるけれども、
・覚え…評判
・やむごとなし…この上ない
・上衆…身分の高い人
わりなくまつはさ せ たまふ あまりに、さるべき御遊びのをりをり、何事にもゆゑあることのふしぶしには、まづ 参う上ら せ たまふ。
(帝が桐壺更衣を)むやみにおそばにおきなさるあまりに、しかるべき管弦のお遊びの折々、また何事によらず大切な催しの折ごとには、帝はまず(桐壺更衣を)お召し寄せになる。
・わりなし…むやみやたらだ
・さるべき…しかるべき、適当な
・遊び…詩歌管弦の遊び
○帝は桐壺更衣を愛するあまり、むやみにお側に引きつけておかれる。
ある時には、大殿籠り 過ぎ て、やがて さぶらは せ たまひ など、あながちに御前去らずもてなさ せ たまひ し ほどに、おのづから軽き方にも見えしを、
ある時には、お寝過ごしになって、そのままおそばにお仕えさせなさるなど、無理やりいつも御前からお離しにならないので、(桐壺更衣は)自然と身分の軽い女房のように見えもしたのだが、
・大殿籠る…「寝」「寝ぬ」の尊敬語
・やがて…そのまま
・おのづから…自然と
・軽き方…身分の低い者
○桐壺更衣があまりに帝のそばにいつもいるので、帝の身の回りの世話をする身分の低い者のように見えた
この皇子生まれ たまひ て後は、いと心ことに 思ほしおきて たれば、
この皇子(光源氏)がお生まれになってから後は、(帝は)格別に待遇しようとお考えになっていたので
・ことなり…格別だ、この上ない
・思ほしおきつ…「思ひおく(心に決める、計画を立てる)」の尊敬語
○いと心ことに思ほしおきて…帝は桐壺更衣を皇子の母として大切に取り扱おうと心づもりなさる
「坊にも、ようせずは、この皇子のゐ たまふ べき なめり。」と、一の皇子の女御はおぼし疑へり。
「皇太子の位にも、悪くすると、この皇子(光源氏)がお立ちになるかもしれない。」と、第一の皇子の母女御は思い疑いなさる。
・坊…皇太子。もともとは東宮坊(皇太子関係の事務を扱う役所)のこと。
・ようせずは…悪くすると。「よくせずは」のウ音便(直訳すると…よくしないならば)
・この皇子…光源氏のこと
〇なめり…断定の助動詞「なり」の連体形撥音便無表記+推定の助動詞「めり」終止形
人より先に 参り たまひ て、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなども おはしませ ば、
(一の皇子の母女御は、)ほかの方よりも先に入内されて、(帝はこの女御を)大切にお思いになるお気持ちは並一通りではなく、(この一の皇子の女御との間に)皇女たちも生まれていらっしゃるので、
・なべてならず…並一通りではない
・皇女たち…第一王子の他に、女一の宮と前斎院があることが他の巻に書かれている。
この御方の御いさめをのみぞ、なほわづらはしう、心苦しう思ひ きこえ させ たまひ ける。
(帝は)この方(一の皇子の女御)のおいさめだけは、やはりうるさく感じ、つらくお思い申し上げていらっしゃるのであった。
・この御方…一の皇子の女御
かしこき御蔭をば頼み きこえ ながら、おとしめ疵を求めたまふ人は多く、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、
(桐壺更衣は)恐れ多い帝の御庇護をお頼み申し上げるけれども、(この桐壺更衣を)見下し、欠点を探しなさる方は多く、自分自身は病弱で頼りにならない様子なので、
・かしこし…恐れ多い
・御蔭…帝の御庇護
なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。
かえってないほうがよいというもの思いをなさる。
・なかなかなり…中途半端だ、かえって。かえってしないほうがよい
○なかなかなるもの思ひ…周囲からいじめられつらい思いをするので、帝の寵愛をかえってうけない方がよいという気苦労。
御局は桐壺なり。
(この更衣の)お部屋は桐壺である。
・御局…後宮の、仕切りをした部屋。曹司ともいう。
○この更衣の住む部屋は桐壺であるということ。桐壺で暮らしているので、桐壺更衣と呼ぶ。
○桐壺…桐壺という名前がついた部屋。中庭に桐を植えたので、こう呼ばれる。帝の居所である清涼殿から最も遠い東北の隅にある。ここから帝のところへ行くためには、たくさんの他の女御・更衣の前を通らなくてはならず、いじめられることになる。