『土佐日記』…紀貫之による、日本最初の仮名文字による日記。
紀貫之が土佐の国司(県知事のようなもの)の任期を終えて、京に帰り着くまでを記した日記。漢文ではなく、細やかな感情を表現できる仮名文字を使った日記。かな文字は女性が使うものだったので、紀貫之は従者の女性のふりをしている。
男もす なる 日記といふものを、女もしてみ む とて、する なり。
男も書くという日記というものを、女(の私)も書いてみようと思って、書くのである。
○すなる…「す」がサ行変格活用動詞「す」の終止形なので、「なる」は終止形接続の伝聞推定助動詞「なり」
○するなり…「する」はサ行変格活用動詞「す」の連体形なので、「なり」は連体形接続の断定の助動詞「なり」
終止形+なり → 伝聞推定(~そうだ、~という)の助動詞「なり」
連体形+なり → 断定(~である)・存在(~にある)の助動詞「なり」
それの年の、師走の、二十日あまり一日の日の、戌の時に門出す。
ある年の(陰暦)一二月二一日の午後八時頃に(館から)出発する。
・師走…陰暦十二月。
・戌の時…午後八時ごろ。
・門出…出発・出立すること。
○国司を務めた館から出ていく。
そのよし、いささかにものに書きつく。
その旅の事情を少しばかり紙に書きつける。
・よし…いきさつ、事情
ある人、県の四年五年果てて、例のことどもみなし終へて、解由など取りて、住む館より出でて、船に乗る べき 所へ渡る。
ある人(紀貫之)が、国司として四、五年の任期が終わって、いつものこと(国司交替の事務の引き継ぎ)をみな済ませて、解由状などを受け取って、(いままで)住んでいた国司の官舎から出て、船に乗るはずの所へ移る。
○ある人…紀貫之のこと。紀貫之の従者のふりをして書いているので、自分のことを「ある人」と呼んでいる。
・県の四年五年…国司としての任期
・例のこと…「例の」は「いつもの、いつものように」などの意味。ここでは、国司交替のための引き継ぎを意味する。
・解由…国司としての任務をはたし、引き継ぎをしたことを示す証明書。
かれこれ、知る知ら ぬ 、送りす。
あの人もこの人も、知っている人も知らない人もみな見送りをする。
・知る知らぬ…「知る人、知らぬ人」の省略。「知る」と「ぬ」は連体形で下に「人」が省略されていると考える。
年ごろ、よくくらべ つる 人々 なむ、別れがたく思ひて、日しきりに、とかくしつつののしるうちに、夜更け ぬ。
この数年来、親しく付き合ってきた人々は、別れがたく思って、一日中盛んにあれこれして大騒ぎしているうちに、夜が更けてしまった。
・よくくらべつる…人々数年来親しく付き合ってきた人々
※なむ…強意の係助詞。本来、係り結びで文末が連体形「別れがたく 思ふ」になるはずだが、「思ひて、~」と接続助詞「て」がついて文が続くため、係り結びが完成していない。
これを「結びの流れ」「結びの消滅」などという。
・とかく…あれこれ、あれやこれや
・ののしる…大騒ぎする
二十二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。
二二日に、和泉の国までは平穏無事であるようにと、神仏に祈願をする。
○旅は京まであるが、和泉の国までは船の旅で特に危険が多いので、和泉の国まで無事にいけるようにと、祈願した。
藤原のときざね、船路 なれ ど 馬のはなむけす。
藤原のときざねは、船旅であるけれども、馬のはなむけ(送別の宴)をする。
○馬のはなむけ…もともとは旅立つ人の乗る馬の頭を出発する方向に向けてやり、見送りをすること。そこから、「送別の宴・餞別を送る」などの意味になった。
○船路なれど…「ど」は已然形の下につく接続助詞で、逆接の確定条件「~けれども」の意味。
「船の旅で馬はいないけれども、(送別の宴という意味で)馬のはなむけをするのだ」と言葉遊びをしている。
上・中・下、酔ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにてあざれ合へり。
身分の上の者から下の者までみなが、すっかり酔っぱらって、たいそう不思議なことに、塩辛い海のほとりで、ふざけ合っている。
・上中下…身分が上の人から下の人まで。
・~飽く…すっかり~する、十分に~する
・あやし…不思議だ
〇「あざる」には「①(魚肉などが)腐る ②ふざける」という二つの意味がある。
塩辛い海なので「あざる=(魚肉が)腐る」ことはないはずだが、「あざる=ふざけ」あっていて不思議だという言葉遊び。このように一つの音に二つの意味をこめることを掛詞という。