右大臣は才世にすぐれめでたく おはしまし 、御心おきても、殊のほかにかしこく おはします。
右大臣(道真)は、学才がたいそう優れて立派でいらっしゃり、御思慮も格別に優れていらっしゃいました。
才…学問。特に漢学の教養。
心おきて…思慮。心の持ち方。
殊のほかなり…格別だ、この上ない
かしこし…優れている
左大臣は御年も若く、才も殊のほかに劣り 給へ る により、
左大臣(時平)は、お年も若く、学才も格段に劣っていらっしゃったために、
右大臣の御おぼえ殊のほかにおはしましたるに、左大臣やすからず思したるほどに、
右大臣への(醍醐天皇の)御信任が格別でいらっしゃったので、左大臣がおもしろくなくお思いになっているうちに、
御おぼえ…醍醐天皇からの御寵愛、御信任
やすからず…おもしろくなく、穏やかでなく。 ←安し(やすし)…心穏やかだ。
さるべきにやおはしけむ、右大臣の御ためによからぬこと出で来て、昌泰四年正月二十五日、大宰権帥になし 奉り て、流され給ふ。
そうなるはずの前世からの定めでいらっしゃったのでしょうか、右大臣の御身にとってよくないことが生じて、昌泰四年正月二十五日、(朝廷は道真を)大宰権帥に任命し申し上げて、(道真は筑紫に)お流されになりました。
・さるべきにやおはしけむ…そうなるはずの前世からの定めでいらっしゃったのだろうか。
※「さるべきにやあらむ」の「あり」が尊敬語「おはす」になった形。
・大宰権帥…大宰府は九州全体をまとめる行政府で、大宰権帥はその名目上の長官で、実際は中央で失脚したものが左遷されてつく役職だった。
※右大臣の御ためによからぬこと…時平が道真の讒言(悪口)をいって、道真を失脚させたこと。はっきりいわずぼかした表現をしている
この大臣、子どもあまたおはせしに、女君たちは婿とり、男君たちは、みなほどほどにつけて位どもおはせしを、
この大臣(道真)には、子どもが大勢いらっしゃったが、姫君たちは婿をとり(結婚し)、男君たちはみな年齢や器量に応じて、官位がおありであったが、
・ほどほどにつけて…年齢や器量に応じて
それもみな方々に流され給ひて悲しきに、幼くおはしける男君、女君たち、慕ひ泣きておはしければ、「小さきはあへなむ。」と、朝廷も許させ給ひしぞかし。
それも皆あちらこちらにお流されになって悲しいが、幼くいらっしゃった男君や女君たちが、(道真を)慕って泣いていらっしゃったので、「小さい者は(連れて行っても)かまわないであろう。」と朝廷も(道真と共に筑紫に下ることを)お許しになったのですよ。
※悲しき…語り手の心情を表している
小さきはあへなむ…成人した子は別々の場所に流されたが、小さい子供は道真についていってもかまわないだろう
帝の御おきて、きはめてあやにくにおはしませば、この御子どもを、同じ方に遣はさざりけり。
帝(醍醐天皇)の御処置、極めて厳しいものでございましたので、この(成人した)お子様たちを同じ方面におやりになりませんでした。
・御おきて…醍醐天皇のご処置
・あやにくなり…厳しい
・この御子ども…道真の成人した子ども
・同じ方…同じ方面 → 別々のところに追放した
方々にいと悲しく思し召して、御前の梅の花を御覧じて、
(道真は)あれやこれやにつけて、とても悲しくお思いになり、庭先の梅の花をご覧になり
東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
(春が来て)東風が吹いたならば、(それに乗せて)おまえの香りを(筑紫にいる私のもとまで)よこしておくれ、梅の花よ。主人(=私)がいないからといって春を忘れるなよ。
・おこす…相手の方から自分の方によこす (「やる」…自分の方から相手の方へ送る)
・あるじなしとて…この家の主人である自分がいないからといって
・春を忘るな…春を忘れるな。忘れることなくしっかり花を咲かせろよ。※「な」が禁止を示す。
また、亭子の帝に聞こえさせ 給ふ、
また、亭子の帝(宇多法皇)に申し上げなさる歌
・聞こえさす…謙譲語「申しあげる」。「聞こゆ」よりも敬意が強い。
流れゆく我は水屑となり果てぬ君しがらみとなりてとどめよ
流されていく私は、すっかり水中のごみくずとなってしまった。君よ、水をせきとめる柵となって、私を引き止めてください。
・君…亭子の帝(宇多法皇)。醍醐天皇の前の天皇。道真を重用した。法皇とは出家した天皇を意味する。
・自分(道真)を水屑、亭子の帝をしがらみ(水をせきとめる柵)にたとえて、配流される自分を助けてほしいと訴えている。