司馬遷『史記』– category –
-
『史記』荊軻④図窮まりて匕首見はる 書き下し文・現代語訳
司馬遷『史記』秦王謂軻曰、「取舞陽所持地図。」軻既取図奏之。 秦王 軻に謂ひて曰はく、「舞陽の持つ所の地図を取れ。」と。軻 既に図を取りて之を奏す。 秦王は荊軻に言うことには「舞陽の持つ地図を取れ。」と。荊軻は地図を取って差し上げた。 秦王発図。図窮而匕... -
『史記』荊軻③図窮まりて匕首見はる 書き下し文・現代語訳
司馬遷『史記』遂至秦、持千金之資幣物、厚遺秦王寵臣中庶子蒙嘉。 遂に秦に至り、千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵()る。 (荊軻は)ついに秦に着き、千金に値する贈り物を用意して、丁重に秦王の寵臣である中庶子の蒙嘉に贈った。 嘉為先言於秦王曰、「燕王誠振怖大... -
『史記』荊軻②風蕭蕭として易水寒し 書き下し文・現代語訳
司馬遷『史記』既祖取道。高漸離撃筑、荊軻和而歌、為変徴之声。士皆垂涙涕泣。 既に祖()す。 道中の安全を祈願して宴を開いて出発した。高漸離が筑を弾き、荊軻は合わせて悲壮な音調で歌った。みな涙を流して泣いた。 ・祖…道祖伸を祭って宴を開くこと。 ・高漸離…荊軻... -
『史記』荊軻①風蕭蕭として易水寒し 書き下し文・現代語訳
司馬遷『史記』燕の太子丹は秦王の幼馴染で秦の人質であったが、秦王に冷遇されるようになる。そして燕に逃げ帰って、秦に復讐しようとしていた。秦は他国の侵略を続け燕の国境近くまできていた。太子丹は荊軻に秦王の暗殺を要請した。 於是太子予求天下之利匕首、得趙人... -
『史記』廉頗と藺相如②書き下し文・現代語訳
司馬遷『史記』藺相如固止之曰、「公之視廉将軍、孰与秦王。」 藺相如固く之を止めて曰はく、「公の廉将軍を視ること、秦王に孰与れぞ。」と。 藺相如は固くこれを止めて言うことには、「あなたたちが廉将軍を見て、秦王と比べてどちらが上か。」と。 A孰与B…「AはB... -
『史記』廉頗と藺相如①書き下し文・現代語訳
司馬遷『史記』既罷帰国。 既に罷()めて国に帰る。 (会合を)終えて国に帰った。 以相如功大、拝為上卿。位在廉頗之右。 相如の功の大なるを以て、拝して上卿と為す。位は廉頗の右に在り。 相如の功績が大きいことを理由に(相如を)任命して上卿とした。位は廉頗の右(... -
『史記』鴻門之会⑥現代語訳・書き下し文
司馬遷『史記』沛公已去、間至軍中。 沛公 已に去り、間()くして軍中に至る。 沛公はすでに去り、しばらくして自軍のところへ到着した。 張良入謝曰、「沛公不勝桮杓、不能辞。 張良 入りて謝して曰はく、「沛公 桮()へず、辞する能はず。 張良は中に入って謝罪して言... -
『史記』鴻門之会⑤現代語訳・書き下し文
司馬遷『史記』沛公已出。項王使都尉陳平召沛公。 沛公 已に出づ。項王 都尉 陳平をして沛公を召さしむ。 沛公はもう出てしまった。(沛公が戻らないので)項王は都尉の陳平に沛公を呼びに行かせた。 沛公曰、「今者出未辞也。為之奈何。」 沛公曰はく、「今者()。」と... -
『史記』項王自刎・項王最期
司馬遷『史記』於是項王乃欲東渡烏江。 是ち東して烏江を渡らんと欲す。 そこで項王は東に向かって烏江を渡ろうとした。 烏江亭長檥船待。謂項王曰、「江東雖小、地方千里、衆数十万人、亦足王也。 烏江の亭長船を檥王たるに足るなり。 烏江の宿場の長が船を出す用... -
『史記』四面楚歌 現代語訳・書き下し文
司馬遷『史記』鴻門の会から四年後、力関係は逆転し、項羽は沛公の漢軍に追われることとなった。 項王軍壁垓下。兵少食尽。漢軍及諸侯兵、囲之数重。 項王の軍垓下に壁()す。兵少なく食尽く。漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。 項王の軍は垓下で城壁の内に立て...
12