『不忍人之心(人に忍びざるの心)』の書き下し文・現代語訳・句法を解説します。出典は『孟子』(公孫丑上)です。
孟子は戦国時代の儒家の思想家で、孔子の「仁」の思想を受けつぎ、人の本性は善であるとする「性善説」と、民を思いやる「王道政治」を説きました。この文章は、性善説の根拠となる「四端」を述べた有名な一節です。
書き下し文・現代語訳・解説
人に忍びざるの心と政治
白文孟子曰、「人皆有不忍人之心。
書き下し孟子曰はく、「人皆人に忍びざるの心有り。
現代語訳孟子が言うことには、「人は誰でも、他人の不幸を見過ごすことのできない心をもっている。
- 曰
- 「いはク」。言うことには。
- 不忍人之心
- 「人に忍びざるの心」。他人の不幸を平気で見過ごすことのできない心。思いやりの心。
- 忍
- むごいことを平気でする。「不忍」で、平気でしていられない。
白文先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。
書き下し先王人に忍びざるの心有りて、斯に人に忍びざるの政有り。
現代語訳昔の聖王は、この他人の不幸を見過ごせない心をもっていて、そこで、人々の不幸を見過ごさない政治を行った。
- 先王
- 古代の聖王。尭・舜など、儒家が理想とした昔の王。
- 斯
- 「ここニ」。そこで。上で理由を述べ、下につなぐ。
- 政
- 「まつりごと」。政治。
- 不忍人之政
- 民の不幸を放っておかない、思いやりにもとづく政治。仁政。
- 矣
- 置き字。断定の意を添える。
白文以不忍人之心、行不忍人之政、治天下、可運之掌上。
書き下し人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること、之を掌上に運らすべし。
現代語訳他人の不幸を見過ごせない心で、思いやりのある政治を行うならば、天下を治めるのは、てのひらに物をのせて転がすくらい容易なことである。
- 以
- 「もつテ」。~で。手段を表す。
- 行はば
- 未然形+「ば」で仮定。行うならば。
- 掌上
- 手のひらの上。
- 運
- 「めぐらス」。転がす。
- 可運之掌上
- 手のひらの上で物を転がすことができる。非常にたやすいことのたとえ。
井戸に落ちそうな幼児
白文所以謂人皆有不忍人之心者、今、人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心。
書き下し人皆人に忍びざるの心有りと謂ふ所以の者は、今、人乍ち孺子の将に井に入らんとするを見れば、皆怵惕惻隠の心有り。
現代語訳人は誰でも他人の不幸を見過ごせない心をもっている、と言うわけは、今かりに、人がふと、幼児が今にも井戸に落ちそうになっているのを見たならば、誰でもはっと驚き、いたましく思う心が起こるからである。
- 所以
- 「ゆゑん」。ここは理由。「所以~者」で、~のわけは。
- 今
- ここは「今かりに」。仮定の意を含む。
- 乍
- 「たちまチ」。ふと。不意に。「忽」と同じ意味。
- 孺子
- 幼児。
- 将入於井
- 「将に井に入らんとす」。今にも井戸に落ちそうになる。
- 怵惕
- はっと驚く。
- 惻隠
- いたましく思う。かわいそうに思う。
白文非所以内交於孺子之父母也。
書き下し交はりを孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。
現代語訳(その心は、)幼児の父母と付き合いを結ぼうとするためではない。
- 内交
- 「交はりを内る」。交際を結ぶ。「内」は「納」と同じ。
- 非
- 「あらズ」。~ではない。
白文非所以要誉於郷党朋友也。
書き下し誉れを郷党朋友に要むる所以に非ざるなり。
現代語訳村里の人々や友人から、ほめられたいためでもない。
- 要
- 「もとム」。求める。
- 誉
- 幼児を助けたというよい評判。
- 郷党
- 同じ村里の人々。
- 朋友
- 友人。
白文非悪其声而然也。
書き下し其の声を悪みて然するに非ざるなり。
現代語訳(幼児を見殺しにしたと)悪く言われるのがいやで、そうするのでもない。
- 悪
- 「にくム」。嫌う。
- 声
- 評判。ここは、幼児を見殺しにしたという悪い評判。
- 然
- 「しかス」。そのようにする。ここは、驚きいたましく思って幼児を助けようとすること。
- 而
- 置き字。
四端
白文由是観之、無惻隠之心、非人也。
書き下し是に由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。
現代語訳このことから考えると、いたましく思う心のない者は、人ではない。
- 由是観之
- 「是に由りて之を観れば」。このことから考えてみると。結論を述べるときの決まった言い方。
白文無羞悪之心、非人也。
書き下し羞悪の心無きは、人に非ざるなり。
現代語訳自分の悪を恥じ、他人の悪を憎む心のない者は、人ではない。
- 羞悪
- 自分のよくない行いを恥じ、他人のよくない行いを憎む。
白文無辞譲之心、非人也。
書き下し辞譲の心無きは、人に非ざるなり。
現代語訳へりくだって人に譲る心のない者は、人ではない。
- 辞譲
- 遠慮して辞退し、人に譲る。
白文無是非之心、非人也。
書き下し是非の心無きは、人に非ざるなり。
現代語訳善いことと悪いことを見分ける心のない者は、人ではない。
- 是非
- 正しいことを正しい、まちがったことをまちがいと判断する。善悪をわきまえる。
白文惻隠之心、仁之端也。
書き下し惻隠の心は、仁の端なり。
現代語訳いたましく思う心は、仁の糸口である。
- 端
- 糸口。もと。芽生え。
- 仁
- 思いやり。いつくしみ。
白文羞悪之心、義之端也。
書き下し羞悪の心は、義の端なり。
現代語訳不善を恥じ憎む心は、義の糸口である。
- 義
- 人として行うべき正しい道。
白文辞譲之心、礼之端也。
書き下し辞譲の心は、礼の端なり。
現代語訳へりくだって譲る心は、礼の糸口である。
- 礼
- 社会の秩序を保つための作法・きまり。
白文是非之心、智之端也。
書き下し是非の心は、智の端なり。
現代語訳善悪を見分ける心は、智の糸口である。
- 智
- 物事の善悪・道理を見分ける知恵。
白文人之有是四端也、猶其有四体也。」
書き下し人の是の四端有るや、猶ほ其の四体有るがごときなり。」と。
現代語訳人にこの四つの糸口があるのは、ちょうど人に両手両足があるのと同じである。」と。
- 四端
- 惻隠・羞悪・辞譲・是非の四つの心。仁・義・礼・智の四つの徳の糸口。
- 也
- ここは「や」と読み、主語を示して強める。
- 四体
- 両手両足。四肢。
テスト予想問題
A 語句
次の語の読み(送り仮名を含め、現代仮名遣いのひらがな)を答えよ。
①斯
②乍
③内(交)
④要(誉)
⑤悪(其声)解答を見る
①ここに
②たちまち
③いるる
④もとむる
⑤にくみて次の語の、本文中での意味を答えよ。
①孺子
②郷党
③端解答を見る
①幼児
②同じ村里の人々
③糸口(もと・芽生え)
B 書き下し文・現代語訳
「治天下、可運之掌上」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:天下を治むること、之を掌上に運らすべし。
現代語訳:天下を治めるのは、てのひらに物をのせて転がすくらい容易なことである。「今、人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:今、人乍ち孺子の将に井に入らんとするを見れば、皆怵惕惻隠の心有り。
現代語訳:今かりに、人がふと幼児が今にも井戸に落ちそうになっているのを見たならば、誰でもはっと驚き、いたましく思う心が起こる。「非悪其声而然也」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:其の声を悪みて然するに非ざるなり。
現代語訳:(幼児を見殺しにしたと)悪く言われるのがいやで、そうするのでもない。「人之有是四端也、猶其有四体也」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:人の是の四端有るや、猶ほ其の四体有るがごときなり。
現代語訳:人にこの四つの糸口があるのは、ちょうど人に両手両足があるのと同じである。
C 内容の読み取り
「不忍人之政」とは、どのような政治か。また、孟子は、それを行うと天下を治めることはどうなると言っているか。
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民の不幸を放っておかない、思いやりにもとづく政治(仁政)。それを行えば、天下を治めるのはごく簡単なことだと言っている。
幼児が井戸に落ちそうなのを見て心が動くのは、何のためではないと孟子は述べているか。本文に即して三つ答えよ。
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①幼児の父母と付き合いを結ぶため。
②村里の人々や友人からほめられるため。
③見殺しにしたという悪い評判を嫌うため。「其声」とは、どのような評判か。また、「然」とは、どうすることか。
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其声=幼児を見殺しにしたという悪い評判。
然=はっと驚き、いたましく思って幼児を助けようとすること。「四端」とは何か。四つの心を本文中から抜き出し、それぞれが何の「端」であるかも答えよ。
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惻隠之心=仁、羞悪之心=義、辞譲之心=礼、是非之心=智。いずれも、生まれつき人に備わっている四つの徳の糸口。