尼君、髪をかき撫でつつ、「梳ることをうるさがり給へど、をかしの御髪や。
尼君は、(女の子の)髪をかきなでながら、「(あなたは)髪をすくことを嫌がりなさるけれども、きれいな御髪ですこと。
いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ。
本当にたわいなくていらっしゃるのが、不憫で気がかりです。
はかなし…幼い、たわいない
ものし給ふ…「ものす」+「給ふ」で「~いらっしゃる」。「ものす」はいろいろな動作に使う動詞。
うしろめたし…心配だ。 ※「こそ」の結びで已然形「うしろめたけれ」。
かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。
これくらいになれば、全くこのよう(に幼稚)でない人もありますのに
かばかり…これぐらい。ここでは「これぐらいの年齢(十歳ぐらい)」を意味する。
かからぬ人…このようでない人。「女の子のように幼稚でないひと」を意味し、故姫君(女の子の母)のことをいっている。「ぬ」は打消の助動詞「ず」連体形。
ものを…~のになあ。
故姫君は、十ばかりにて殿におくれ給ひしほど、いみじうものは思ひ知り給へりしぞかし。
亡くなった姫君(あなたの母)は、十歳ほどで殿(=父君)に先立たれなさった頃には、非常にものの道理は理解していらっしゃいましたよ。
故姫君…尼の娘で、女の子の母。
おくる…先立たれる。
ものは思ひ知り…ものごとの分別がある、しっかりと物の道理をわきまえている
ぞかし…「ぞ」は強意。「かし」は念押しの終助詞。「~よ、ね」のような意味。
ただ今おのれ見捨て奉らば、いかで世におはせむとすらむ。」とて、いみじく泣くを見給ふも、すずろに悲し。
ただ今にでも私が(あなたを)見捨て申し上げたならば(死んでしまったならば)、どうやってこの世に生きておいでになろうとするのでしょうか。」と言って、(尼君が)ひどく泣くのをご覧になるにつけても、(光源氏は)わけもなく悲しい。
いかで…どうなって、どのように
世におはす…世を生きておいでになる。「おはす」は「あり」の尊敬語。
すずろに…むやみに、わけもなく。形容動詞「すずろなり」の連用形。
~見給ふも、すずろに悲し…主語は光源氏。
幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。
(女の子は)幼心にも、やはりじっと(尼君を)見つめて、伏し目になってうつむいた時に、こぼれかかってくる髪の毛が、つやつやとして美しく見える。
さすがに…(そうはいっても)やはり。
まもる…じっと見つめる
生ひたたむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき
成長していく行く末も分からない若草のようなこの子を後に残して消えていく露のような私は、消えようにも消える空もありません。(死ぬにも死にきれません。)
○尼君の歌。若草に女の子(若紫)、露に自分(尼君)をたとえている。幼い女の子のことが心配で、死ぬにしねないという心情。「露」は「はかない命」を意味する。
おくらす…先立つ。あとに残して死ぬ。
またゐたる大人、「げに。」とうち泣きて、
また座っていた年配の女房が、「本当に。」と泣いて、
初草の生ひゆく末も知らぬまにいかでか露の消えむとすらむ
若草のようなこの子が成長していく将来のことも分からないうちに、どうして露(尼君)は消えようとするのでしょうか。(生きてくださいませ。)
いかでか…どうして~(疑問・反語)
〇初草…女の子(若紫) 露…尼君
と聞こゆるほどに、
と申し上げているところに、
僧都あなたより来て、「こなたはあらはにや侍らむ。今日しも端におはしましけるかな。
(尼君の兄の)僧都が向こうから来て、「こちらは(外から)まる見えではございませんか。今日に限って端近にいらっしゃたのですね。
あらはなり…まる見えだ
侍らむ…「侍り」…「あり」の丁寧語。僧都から尼君への敬意。
今日しも…今日に限って。「しも」は強意の副助詞。
○光源氏が近くに来ている今日にかぎって、外から見られやすいところにいた。
この上の聖の方に、源氏の中将の、瘧病まじなひにものし給ひけるを、ただ今なむ聞きつけ侍る。
ここの上の聖の所に、光源氏が、瘧病のまじないにいらっしゃったことを、たった今聞きつけました。
いみじう忍び給ひければ、知り侍らで、ここに侍りながら、御とぶらひにもまうでざりける。」とのたまへば、
(光源氏は)たいそう人目をさけていらっしゃったので、(私は)知りませんで、ここにおりながら、お見舞いにも参りませんでした。」とおっしゃると、
忍ぶ…人目を避ける。
御とぶらひ…お見舞い
「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ。」とて、簾下ろしつ。
(尼君は)「ああ大変だ。非常に見苦しい様子を誰かが見てしまったかしら。」と言って、簾を下ろしてしまった。
あやしきさま…見苦しい、みっともない様子。けだるげに読経する姿や、雀の件、歌のやりとりなど。
人…光源氏のお供の人などを指す。
「この世にののしり給ふ光源氏、かかるついでに見奉り給はむや。
(僧都は)「世間で評判が高くていらっしゃる光源氏を、このような機会に拝見なさいませんか。
ののしる…評判がたかい、うわさになる
世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の憂へ忘れ、齢延ぶる人の御ありさまなり。
俗世を捨ててしまった法師の心地にも、すっかりこの世の心配事を忘れ、命が延びると思われるほどの(美しい)ご容姿なのです。
人の御ありさま…光源氏のご様子
いで御消息聞こえむ。」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。
さあ、ご挨拶を申し上げましょう。」と言って(僧都が座を)立つ音がするので、(光源氏は)お帰りになった。
いで…さあ
御消息…手紙や口上でのおたより。(この後の場面で、僧都の弟子が 光源氏の部下の惟光 を呼び、口上でおたよりする)
立つ音すれば…簾を下してしまったので目には見えないが。音が聞こえた。
帰り給ひぬ…動作主は光源氏。
あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり、
何とも可憐な人を見たことだなあ、こうだから、この色好みの人たちは、ただこのような忍び歩きをして、めったに見つけられないような人をも見つけるというわけなのだな、
あはれなる人…女の子(若紫)のこと。
かかれば…ちょとした忍び歩きで、こんなかわいい子を見つけることもあるのだから
このすき者ども…この色好みの人たち ※特定の人物を指すというよりも、源氏の周囲の色好みの人々をひろくさしている。(惟光などをさすという考え方もあります)
さるまじき人…「さる(さ+ある)」+「まじ」+「人」。見つけることができそうにない人
たまさかに立ち出づるだに、かく思ひのほかなることを見るよ、とをかしう思す。
「偶然に出かけてさえ、このように思いもかけないことを目にするものだよ」と、おもしろくお思いになる。
たまさかなり…偶然だ、たまたまだ、まれだ
だに…類推の副助詞「さえ」
さても、いとうつくしかりつる児かな、何人ならむ、かの人の御代はりに、明け暮れの慰めにも見ばや、と思ふ心深う付きぬ。
それにしても、実にかわいらしい子であったなあ、どういう人なのだろう、あのお方(=藤壺女御)の代わりとして、明け暮れの心の慰めにでも見たいものだ、と思う心が(光源氏の中に)深くとりついてしまった。
かの人…光源氏が恋い慕う藤壺女御。
見ばや…見たい。「未然形+ばや」は希望の終助詞(~たい)。
コメント