司馬遷『史記』「伯夷列伝」の「首陽山に餓死す」「天道是か非か」について、原文・書き下し文・現代語訳・重要語句・句法・内容をわかりやすく解説します。
前半では、自分たちの「孝」「仁」「義」を守り抜いた伯夷・叔斉の生き方が描かれます。後半では、そのような善人が悲惨な最期を迎えた事実をもとに、司馬遷が「天は本当に善人に報いるのか」という問題を考えます。
『伯夷・叔斉』全体の流れ
①伯夷・叔斉が国君の位を互いに譲る
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②武王が紂王を討とうとするのを諫める
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③周に従うことを拒み、首陽山に隠れる
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④辞世の歌を残して餓死する
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⑤司馬遷が「二人には怨みがあったのか」と問う
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⑥善人の伯夷・叔斉や顔淵が不幸な最期を迎える
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⑦一方で悪人の盗蹠は長生きする
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⑧司馬遷が「天道は本当に正しいのか」と疑問を投げかける
『伯夷・叔斉』書き下し文・現代語訳・解説
伯夷・叔斉、孤竹君之二子也。父欲立叔斉。
伯夷・叔斉は、孤竹君の二子なり。父、叔斉を立てんと欲す。
伯夷と叔斉は、孤竹国の君主の二人の息子であった。父は弟の叔斉を後継者として君主の位につけようとしていた。
・伯夷・叔斉…孤竹君の子。伯夷が長男、叔斉が三男。
・立…ここでは、君主の位につける。
及父卒、叔斉譲伯夷。伯夷曰、「父命也。」遂逃去。
父卒するに及び、叔斉、伯夷に譲らんとす。伯夷曰はく、「父の命なり。」と。遂に逃れ去る。
父が亡くなると、叔斉は君主の位を兄の伯夷に譲ろうとした。しかし伯夷は、「叔斉を後継者にするのが父の命令である。」と言い、その命令に背いて自分が位につくことを避け、国を去った。
・卒…ここでは「死ぬ」。読みを現代仮名遣いで問われた場合は「しゅっする」。
・父命…叔斉を後継者とする父の命令・遺志。
伯夷はなぜ国を去ったのか
父が「叔斉を後継者とする」と決めていたためです。
伯夷は、自分が君主になれば父の遺志に背くことになると考え、父への孝を守るために国を去りました。
叔斉亦不肯立而逃之。国人立其中子。
叔斉も亦た立つを肯ぜずして之を逃る。国人其の中子を立つ。
叔斉もまた、兄の伯夷を差し置いて自分が君主になることを承知せず、国を去った。そこで孤竹国の人々は、伯夷と叔斉の間にあたる次男を君主に立てた。
・肯ぜず…承知しない。「肯ず」は「がへんず」と読む。
・中子…伯夷と叔斉の間にあたる兄弟。ここでは次男。
於是伯夷・叔斉聞西伯昌善養老、盍往帰焉。
是に於いて伯夷・叔斉、西伯昌の善く老を養ふを聞き、盍ぞ往きて帰せざる、と。
そこで伯夷と叔斉は、西伯昌が年老いた賢者を大切にしていると聞き、「西伯昌のもとへ行って身を寄せようではないか。」と考えた。
・西伯昌…後の周の文王。
盍~「なんぞ~ざる」
意味:どうして~しないのか。~しようではないか。
「盍往帰焉」=どうして行って身を寄せないのか。行って身を寄せようではないか。
及至西伯卒、武王載木主、号為文王、東伐紂。
西伯卒するに至るに及び、武王木主を載せ、号して文王と為し、東のかた紂を伐つ。
二人が頼ろうとしていた西伯昌は、すでに亡くなっていた。その子の武王は父の位牌を車に載せ、父を文王と称し、東へ進んで殷の紂王を討とうとしていた。
・木主…死者の霊を祭るための位牌。
・武王…西伯昌の子。後に殷を滅ぼし、周王朝を建てる。
・紂…殷王朝最後の王。暴虐な君主とされる。
伯夷・叔斉叩馬而諫曰、「父死不葬、爰及干戈、可謂孝乎。以臣弑君、可謂仁乎。」
伯夷・叔斉、馬を叩へて諫めて曰はく、「父死して葬らず、爰に干戈に及ぶ、孝と謂ふべけんや。臣を以て君を弑す、仁と謂ふべけんや。」と。
伯夷と叔斉は武王の馬を引き止めて諫めた。「父が亡くなったのに、まだ葬儀もしないまま戦争を始める。それを孝と言えるでしょうか。いや、言えません。臣下でありながら、自分の君主を殺そうとする。それを仁と言えるでしょうか。いや、言えません。」
・干戈…「干」は盾、「戈」はほこ。ここでは戦争。
・孝…親を大切にする徳。
・弑…臣下が君主、子が親など、目上の者を殺すこと。
「臣」「君」は誰?
臣=武王
君=紂王
伯夷・叔斉は、武王の行動には二つの問題があると考えています。
父の葬儀前に戦争をする → 「孝」に反する
臣下が君主を討つ → 「仁」に反する
左右欲兵之。太公曰、「此義人也。」扶而去之。
左右、之を兵せんと欲す。太公曰はく、「此れ義人なり。」と。扶けて之を去らしむ。
武王の側近たちは伯夷と叔斉を武器で殺そうとした。しかし太公は、「この二人は義を守る人物である。」と言い、二人を助けてその場から立ち去らせた。
・左右…君主のそばに仕える側近。
・兵…ここでは武器で殺す。
・之…伯夷・叔斉。
・太公…太公望・呂尚。
太公はなぜ伯夷・叔斉を助けたのか
二人の主張は武王の考えには反しています。
それでも太公は、伯夷・叔斉が「孝」「仁」という道義を守るために命がけで諫めたことを評価し、「義人」と呼びました。
そのような正義を持つ二人を殺すべきではないと考え、助けたのです。
伯夷・叔斉が「周の粟」を食べなかった理由
武王已平殷乱、天下宗周而伯夷・叔斉恥之、義不食周粟。
武王已に殷の乱を平らげ、天下周を宗とするも、伯夷・叔斉之を恥ぢ、義として周の粟を食らはず。
武王は殷を滅ぼして天下を平定し、人々は周を新しい王朝として仰ぐようになった。しかし伯夷と叔斉は、そのような周に従うことを恥とし、自分たちの義を守るため、周から与えられる穀物を食べようとしなかった。
・宗…主君・中心として仰ぐ。
・周粟…周から受ける穀物。周に仕えれば与えられる禄とも関係する。
なぜ周に仕えることを「恥」としたのか
伯夷・叔斉から見ると、武王は、
①父の葬儀を済ませずに戦争をした=不孝
②臣下の立場で君主の紂王を討った=不仁・不義
という人物です。
その武王を王として認め、周に仕えることは、自分たちの信じる「義」に反すると考えたのです。
隠於首陽山、采薇而食之。及餓且死、作歌。
首陽山に隠れ、薇を采りて之を食らふ。餓ゑて且に死せんとするに及び、歌を作る。
二人は首陽山に隠れ、薇という野草を採って食べながら暮らした。そして飢えによって死が目前に迫った時、歌を作った。
・薇…野生の植物。二人はこれを食料とした。
且「まさニ~セントす」
再読文字。
意味:今にも~しようとする。
「餓且死」=飢えて今にも死のうとする。
伯夷・叔斉の辞世の歌
登彼西山兮 采其薇矣
以暴易暴兮 不知其非矣
彼の西山に登り 其の薇を采る
暴を以て暴に易へ 其の非を知らず
あの西の山に登り、そこで薇を摘んでいる。
武王は武力を用いて紂王の暴政を倒し、自分がそれに取って代わった。しかし、その行為自体の誤りに気づいていない。
「以暴易暴」の二つの「暴」
最初の「暴」=武王が臣下でありながら武力で紂王を討ったこと。
後の「暴」=紂王の暴虐な政治。
伯夷・叔斉は、紂王が暴君だからといって、臣下が武力で主君を倒すことまで正当化されるわけではないと考えています。
神農・虞・夏忽焉没兮 我安適帰矣
于嗟徂兮 命之衰矣
神農・虞・夏忽焉として没す 我安くにか適帰せん
于嗟徂かん 命の衰へたるかな
神農・舜・禹のような聖王が治めた理想の時代は、すでに遠い過去となってしまった。私たちは、いったいどこへ行って身を落ち着ければよいのだろうか。
ああ、もう死のう。私たちの命運はなんと衰えてしまったことか。
・神農…伝説上の聖王。
・虞…舜の時代。
・夏…禹の建てた王朝。
・于嗟…「ああ」。詠嘆。
・徂…行く。ここでは死ぬこと。
「我安適帰矣」とは?
単に「住む場所がない」という意味ではありません。
伯夷・叔斉が理想とする政治を行う国が現実には存在せず、自分たちが従うことのできる国も、安心して身を置ける場所もないという絶望を表しています。
遂餓死於首陽山。由此観之、怨邪非邪。
遂に首陽山に餓死す。此に由りて之を観れば、怨みたるか非ざるか。
こうして二人は、ついに首陽山で餓死した。この歌から考えてみると、伯夷と叔斉は世の中や他人を怨んでいたのだろうか、それとも怨んではいなかったのだろうか。
「怨邪非邪」は重要
司馬遷は、伯夷・叔斉を単純に「何の不満も持たず、静かに死んだ聖人」として描いているわけではありません。
辞世の歌には、武王への批判や、自分たちの居場所がどこにもないという嘆きが表れています。
そこで司馬遷は、「本当に二人には世の中への怨みがなかったのだろうか」と問い直しています。
『天道是か非か』書き下し文・現代語訳・解説
或曰、「天道無親。常与善人。」
或いは曰はく、「天道は親無し。常に善人に与す。」と。
ある人は、「天の道は特定の人物をえこひいきすることはなく、いつも善人に味方するものだ。」と言う。
・天道…天の道理。人間世界を支配すると考えられた天の原理。
・無親…特定の者だけをえこひいきしない。
・与「くみス」…味方する。
若伯夷・叔斉、可謂善人者非邪。積仁絜行如此而餓死。
伯夷・叔斉の若きは、善人と謂ふべき者か非ざるか。仁を積み行ひを絜くすること此くのごとくにして餓死す。
伯夷や叔斉のような人物は、善人と言ってよいのだろうか、そうではないのだろうか。二人は仁徳を積み、これほどまでに清廉な生き方を守った。それにもかかわらず、最後には餓死してしまった。
・若~…~のような。
・積仁…仁徳を積み重ねる。
・絜行…行いを潔白に保つ。
「若伯夷・叔斉可謂善人者非邪」とは?
司馬遷が「伯夷・叔斉が善人かどうかわからない」と考えているわけではありません。
伯夷・叔斉ほど仁を積み、清い生き方をした人物なら当然善人と言ってよいはずです。
それなのに二人は餓死しました。
つまり、「天は善人に味方するというのなら、なぜこの二人は報われなかったのか」という疑問につながっています。
且七十子之徒、仲尼独薦顔淵為好学。然回也屢空、糟糠不厭而卒蚤夭。
且つ七十子の徒、仲尼独り顔淵をのみ薦めて学を好むと為す。然れども回や屢空しく、糟糠にも厭かずして卒に蚤く夭せり。
さらに孔子の多くの弟子の中で、孔子が特に学問を好む人物として高く評価したのが顔淵であった。しかし顔淵は何度も食べ物に困るほど貧しく、酒かすや米ぬかのような粗末な食べ物さえ満足に食べられないまま、結局若くして亡くなった。
・仲尼…孔子。
・顔淵…孔子の弟子。名は回。
・屢空…たびたび食べ物に困るほど貧しいこと。
・糟糠…酒かすと米ぬか。粗末な食物。
・不厭…ここでは、満足するほど食べられない。
・蚤夭…若くして死ぬ。
天之報施善人、其何如哉。
天の善人に報施する、其れ何如ぞや。
それでは、天が善人の行いに報いて幸福を与えるという話は、いったいどうなっているのだろうか。
・報施…行いに応じて報いを与える。
何如…「いかん」。どうであるか。
顔淵と盗蹠の対比
盗蹠日殺不辜、肝人之肉、暴戻恣雎、聚党数千人横行天下、竟以寿終。
盗蹠は日に不辜を殺し、人の肉を肝し、暴戻恣雎、党を聚むること数千人にして天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。
一方、大盗賊の盗蹠は、日々罪のない人を殺し、人肉まで食べるほど残虐で、道理に反して好き勝手に振る舞った。数千人もの仲間を集めて天下を荒らし回ったにもかかわらず、結局は長生きして天寿を全うした。
・盗蹠…大悪人の代表として挙げられる盗賊。
・不辜…罪のない人。
・暴戻恣雎…乱暴で道理に背き、好き勝手に振る舞うこと。
・竟…「つひニ」。結局、とうとう。
是遵何徳哉。此其尤大彰明較著者也。
是れ何の徳に遵へるや。此れ其の尤も大いに彰明較著なる者なり。
盗蹠はいったい何の徳を守ったというので、長寿を得たのだろうか。こうした例は、天が必ずしも善人に味方しているとは言えない現実を、特にはっきり示すものなのである。
善人と悪人の対比
伯夷・叔斉……仁を積み、行いを清くする → 餓死
顔淵……孔子から高く評価された → 貧困の中で若死に
盗蹠……悪事を重ねる → 長寿を全う
つまり、道徳を守ることが必ずしも幸福や長寿につながらないという現実が示されています。
なぜ司馬遷は「近世」の例まで挙げるのか
若至近世、操行不軌、専犯忌諱而終身逸楽、富厚累世不絶。
近世に至るが若き、操行軌ならず、専ら忌諱を犯すも終身逸楽し、富厚累世にして絶えず。
さらに近い時代を見ても、行いが正しい道から外れ、守るべき決まりを平然と破っているにもかかわらず、生涯を安楽に過ごし、その家の豊かさが何代も続く者がいる。
・操行…日ごろの行い、品行。
・不軌…正しい道から外れている。
・逸楽…気楽に楽しんで暮らすこと。
・累世…何代にもわたって。
或択地而踏之、時然後出言、行不由径、非公正不発憤而遇禍災者、不可勝数也。
或いは地を択びて之を踏み、時にして然る後に言を出だし、行くに径に由らず、公正に非ずんば憤りを発せざるも禍災に遇ふ者、勝げて数ふべからざるなり。
その反対に、足を踏み出す場所さえ慎重に選び、発言する時機をよく考え、近道を通らず正しい道を歩み、公正なことでなければ心を奮い立たせて行動しないほど慎重で正しい人物であっても、災難に遭う例は数えきれないほど存在する。
・択地而踏之…足を踏み出す場所まで慎重に選ぶ。
・行不由径…近道を通らない。正しい道を守ることを表す。
・発憤…心を奮い立たせて励む。
不可勝数「あゲテ数ふベカラず」
意味:数えきれないほど多い。
なぜ「近世」の例まで挙げる?
伯夷・叔斉、顔淵、盗蹠だけなら、「昔の特殊な例」と考えることもできます。
しかし司馬遷自身の時代にも、悪い行いをする者が栄え、正しい人物が災難に遭う例が数多く存在する。
つまり「善人は天から報われるのか」という問題は、古代だけでなく司馬遷の時代にも解決していない問題であることを示しています。
余甚惑焉。儻所謂天道是邪非邪。
余甚だ惑ふ。儻いは所謂天道は是か非か、と。
私はこうした現実を考えると、どう判断すればよいのか大いに迷う。もしかすると、世間で言われる「天道」というものは、本当に正しいのだろうか、それとも正しくないのだろうか。
・余…作者の司馬遷。
・惑…判断できず迷う。
・儻…あるいは、もしかすると。
「天道是邪非邪」に込められた思い
司馬遷は「天道など存在しない」と単純に断定しているわけではありません。
しかし、善人が不幸になり、悪人が栄える現実を数多く見たことで、「善人に報いるはずの天道」をそのまま信じることができなくなっています。
「是か非か」と問いを残したところに、司馬遷の深い疑い・迷い・嘆きが表れています。
『伯夷・叔斉』の主題
前半の「首陽山に餓死す」では、伯夷・叔斉が自分たちの孝・仁・義を最後まで守り抜く姿が描かれています。
しかし司馬遷は、それを単純に「立派な人物の美談」として終わらせません。
二人はこれほど正しい生き方をしたのに、最後には餓死しました。
さらに顔淵も若死にし、逆に悪人の盗蹠は長生きしました。
善い行い=幸福
悪い行い=不幸
という単純な因果関係は、現実の世界では必ずしも成り立ちません。
その矛盾を前にして、司馬遷は「天道は本当に正しく働いているのか」と問いかけているのです。
『伯夷・叔斉』テスト予想問題
問1 伯夷と叔斉は、それぞれなぜ国を去ったのか。
問2 「卒するに」の読みを、現代仮名遣いで答えよ。
問3 「盍往帰焉」を現代語訳せよ。
問4 「可謂孝乎」とあるが、何が「孝」に反すると考えているのか。
問5 「以臣弑君」の「臣」「君」はそれぞれ誰か。
問6 伯夷・叔斉はなぜ周に仕えることを「恥」としたのか。
問7 「以暴易暴」の二つの「暴」は何を指すか。
問8 「我安適帰矣」とは、どのようなことを表しているか。
問8 「由此観之、怨邪非邪」を現代語訳せよ。
問9 「若伯夷・叔斉、可謂善人者非邪」という疑問が生じるのはなぜか。
問10 「天道無親、常与善人」を現代語訳せよ。
問11 「天之報施善人、其何如哉」はどのような疑問を表しているか。
問12 「此其尤大彰明較著者也」とあるが、何が明らかになっているのか。
問13 「不可勝数也」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
現代語訳:数えきれないほど多い。
問14 「所謂」の読みを現代仮名遣いで答えよ。
問15 「天道是邪非邪」には、司馬遷のどのような思いが表れているか。
まとめ
『史記』「伯夷列伝」の前半では、伯夷・叔斉が孝・仁・義という自分たちの価値観を最後まで守り、周に従うことを拒んで首陽山で餓死する姿が描かれています。
しかし司馬遷は、二人をただ理想的な聖人として描いて終わりません。
辞世の歌を読んで、「本当に二人には世の中への怨みがなかったのか」と問い直します。
さらに後半では、善人である伯夷・叔斉や顔淵が不幸な最期を迎えた一方、悪人である盗蹠が長生きした事実を示します。
司馬遷自身の時代にも、悪い行いをする者が豊かに暮らし、正しい行いをする者が災難に遭う例が数多くありました。
だからこそ司馬遷は最後に、「天道是邪非邪」――善人に報いるとされる天道は本当に正しく働いているのか、と問いかけるのです。