『平家物語(へいけものがたり)』「能登殿の最期(のとどののさいご)」②の現代語訳・品詞分解・解説です。
武器を捨てて大手を広げた教経に、大力の安芸太郎兄弟が三人がかりで挑みかかります。②では、教経が二人を両脇に抱えて海に入る最期と、それを見届けた知盛が乳母子とともに入水する最期、そして合戦のあとの海のようすが描かれます。教経と知盛の人物像の違いがよく問われます。
原文の読み方
原文の一語一語に、活用や助動詞・助詞の意味を示しています。下のボタンで、用言・助動詞・助詞などのラベルを別々に出したり消したりできます。ラベルを押すと古典文法一覧の説明に飛びます。
現代語訳・品詞分解・解説
安芸太郎兄弟の挑戦
現代語訳さてそこへ、土佐の国の住人で安芸郷を領地として治めていた、安芸大領実康の息子の安芸太郎実光という、三十人力の怪力をもつ剛の者がいた。
- 知行す
- 領地を支配する。
- 大領
- 郡の長官。
- 三十人が力
- 三十人分の力。
- 剛の者
- 武勇にすぐれた者。勇士。
現代語訳実光に少しも引けを取らない家来が一人おり、弟の次郎もふつうの者よりずっと強い豪の者である。
- 郎等
- 家来。
- したたか者
- 気が強く手ごわい者。勇猛な者。
「我」は安芸太郎実光自身をさす。安芸太郎だけでなく、家来も弟も人並みすぐれた力の持ち主だった。
「見奉つて」の「奉つ」は「奉り」の促音便で、謙譲の補助動詞。作者から教経への敬意を表す。
現代語訳「いくら勇猛でいらっしゃっても、われら三人でとりついたなら、たとえ身の丈が十丈の鬼だとしても、従わせられないはずがあろうか(いや、必ず従わせられる)。」と言って、
- まします
- いらっしゃる(尊敬の補助動詞)。
- 丈
- 背の高さ。
- 十丈
- 一丈は約三メートル。十丈は約三十メートル。
「取りついたらんに」の「ん」は仮定。「組みついたとしたら」。
「などか従へざるべき」は反語。「どうして屈服させられないことがあろうか、いや、きっと屈服させられる」。「従へ」は下二段の「従ふ」(屈服させる)、「べき」は可能。
安芸太郎は、力自慢の三人がかりで組みつけば、どんなに強い教経でも捕らえられると考えた。
現代語訳主従三人は小舟に乗って能登殿の舟にぴたりと横づけし、「えいっ。」と声をあげて跳び移ると、甲の錣を傾けて身を守り、太刀を抜き放って、そろって斬りかかる。
- 押し並ぶ
- (舟を)横にぴったり並べる。
- 錣
- 甲の左右から後ろに垂らして、首を守る部分。
- 一面に
- いっせいに。
甲の錣を傾けたのは、頭を下げて首や顔への攻撃を防ぐ構えである。
教経の最期
現代語訳能登殿は少しも動じなさらず、先頭を切って進んできた安芸太郎の家来を、裾が触れ合うほど引き寄せてから、海へどぶんと蹴り込みなさる。
- 騒ぐ
- あわてる。
- 裾を合はす
- (鎧の)裾と裾が触れ合うほど相手を引き寄せる。
- どうど
- どんと。
教経は三人が打ちかかってきても少しもあわてず、まず真っ先に来た家来を海へ蹴り落とした。
現代語訳続いて寄ってくる安芸太郎を左の脇にとらえて挟み、弟の次郎を右の脇に挟みこみ、ぐっとひと締め締めあげて、
- 弓手
- 左手。弓を持つ手の側。
- 馬手
- 右手。馬の手綱を持つ手の側。
現代語訳「さあ、お前たち、それならお前らは死出の山の旅の供をせよ。」と言って、二十六歳で、海へさっとお入りになる。
- いざうれ
- さあ、お前たち。
- 死出の山
- 人が死後に越えていくという険しい山。「死出の山の供」は、あの世への道連れ。
- 生年
- 生まれてからの年齢。
教経は、自分を捕らえに来た安芸太郎と次郎を両脇に抱えたまま、海へ飛びこんだ。
知盛の最期
現代語訳新中納言は、「見届けねばならないことは、もうすべて見届けた。今はこれで自害しよう。」と言い、乳母子である伊賀平内左衛門家長を呼び寄せなさって、
- めのと子
- 乳母の子。主君と兄弟のように育ち、強い絆で結ばれていた。
- 召す
- お呼び寄せになる。「呼ぶ」の尊敬語。
「見るべきほどのこと」は、平家一門の運命(栄えて滅びてゆくさま)のこと。それをすべて見届けたという言葉に、知盛の冷静さと覚悟が表れている。
「見るべき」の「べき」は当然、「見つ」の「つ」は完了。
現代語訳「どうだ、約束を破るつもりはあるまいな。」とおっしゃると、(家長は)「あれこれ申すまでもありません。」と言って、
- 違ふ
- (約束に)背く。
- 子細に及ぶ
- あれこれ言う必要がある。
「約束」は、死ぬときは一緒に死のうという約束。
「子細にや及び候ふ」の「や」は反語。「あれこれ申すまでもございません」と、家長が知盛の問いを承知した言葉。「候ふ」は家長から知盛への敬意を表す丁寧語。
現代語訳(家長は)主君の中納言に鎧を二領重ねてお着せ申し、自身も鎧を二領身につけて、二人で手を取り合い、海へ飛びこんでしまった。
- 二領
- 「領」は鎧などを数える語。
鎧を二領ずつ着たのは、体を重くして確実に海に沈むため。浮かび上がって敵に生け捕りにされないようにしたのである。
「着せ奉り」の「奉り」は謙譲の補助動詞で、作者から知盛への敬意。
現代語訳それを見た侍たち二十人あまりも、主君に死に後れ申し上げまいと、互いに手を取り合って、同じ場所に沈んでいった。
- 後る
- (主人に)死に後れる。
- 一所
- 同じ場所。
「後れ奉らじ」は、主君の知盛に死に後れ申し上げまい、の意。「じ」は打消意志。
現代語訳そうした中でも、越中次郎兵衛・上総五郎兵衛・悪七兵衛、そして飛驒四郎兵衛は、どうやって逃れたのだろうか、その場からもまた落ちのびていった。
- 落つ
- 戦場から逃れて落ちのびる。
「なにとしてか逃れたりけん」は、語り手が思いをはさんだ挿入句。
「そこ」は、知盛や侍たちが次々に入水したその場(壇の浦)をさす。
戦いのあとの海
現代語訳海面には(平家の)赤旗や赤印が投げ捨てられ、かなぐり捨てられていたので、まるで竜田川の紅葉を嵐が吹き散らしたかのようなありさまである。
- 赤印
- 平家の者であることを示す赤い布の印。
- 竜田川
- 紅葉の名所として和歌に多く詠まれた川(歌枕)。
海一面に散った平家の赤旗・赤印を、竜田川に散り浮かぶ紅葉にたとえている。平家の旗は赤、源氏の旗は白である。
- 汀
- 波打ちぎわ。
海を埋める赤旗・赤印のために、打ち寄せる白波まで薄紅色に見えた。戦で流された血をも思わせる表現と読むこともできる。
現代語訳乗る人もなくからになった舟が、潮に引かれ、風にまかせて、行く先も定まらずに揺られていくのは、悲しいことであった。
- 主
- 持ち主。ここでは舟に乗っていた人。
- むなし
- 中に何もない。
乗っていた平家の人々が死んだり捕らえられたりして、からっぽになった舟がただようようすに、平家滅亡の悲しさが表れている。「こそ〜悲しけれ」は語り手の感慨。
前の記事は『平家物語』能登殿の最期①です。安徳天皇と二位殿の入水は「先帝身投」、同じ『平家物語』の「忠度の都落ち」もあわせて読んでみてください。
テスト予想問題
A 読み・語句
次の語の読みを現代仮名遣いで答えよ。
①郎等
②主従
③錣
④弓手
⑤馬手
⑥生年
⑦汀解答を見る
①ろうどう(ろうとう)
②しゅうじゅう
③しころ
④ゆんで
⑤めて
⑥しょうねん
⑦みぎわ次の語の、本文中での意味を答えよ。
①剛の者
②したたか者
③一面に
④召す
⑤一所解答を見る
①武勇にすぐれた者(勇士)
②気が強く手ごわい者(勇猛な者)
③いっせいに
④お呼び寄せになる
⑤同じ場所
B 文法・敬語
次の傍線部の敬語の種類と、だれからだれへの敬意かを答えよ。
①能登殿を見【奉つ】て
②いかに猛う【まします】とも
③ちつとも騒ぎ【給は】ず
④中納言に鎧二領着せ【奉り】解答を見る
①謙譲語。作者から教経へ
②尊敬語。安芸太郎から教経へ
③尊敬語。作者から教経へ
④謙譲語。作者から知盛へ次の傍線部「ん」の意味を答えよ。
①我ら三人取りついたら【ん】に
②今は自害せ【ん】解答を見る
①仮定
②意志
C 現代語訳・内容
「たとひ丈十丈の鬼なりとも、などか従へざるべき。」を現代語訳せよ。また、安芸太郎はどうすれば教経に勝てると考えたのか。
解答を見る
訳=たとえ身の丈が十丈の鬼だとしても、従わせられないはずがあろうか、いや、必ず従わせられる。考え=力の強い三人がかりで組みつけば、勝てると考えた。
「見るべきほどのことは見つ」に含まれる助動詞を二つ挙げ、それぞれの意味と活用形を答えよ。また、「見るべきほどのこと」とは何をさすか。
解答を見る
べき=当然の助動詞「べし」の連体形 つ=完了の助動詞「つ」の終止形。さすもの=平家一門の運命(平家が栄え、滅んでいくさま)。
「いかに、約束は違ふまじきか。」の「約束」とはどのような約束か。また、それに対する家長の答え「子細にや及び候ふ。」を現代語訳せよ。
解答を見る
約束=死ぬときは一緒に死のうという約束。訳=あれこれ申すまでもございません。
知盛と家長が鎧を二領ずつ着て海に入ったのはなぜか。
解答を見る
体を重くして確実に海に沈み、浮かび上がって敵に捕らえられないようにするため。
「竜田川の紅葉葉を嵐の吹き散らしたるがごとし」は、何のどのようなようすをたとえたものか。
解答を見る
平家の赤旗や赤印が投げ捨てられ、海一面に散らばって浮かんでいるようすを、竜田川に嵐で散った紅葉が浮かんでいるようすにたとえている。
本文に描かれた教経と知盛の人物像の違いを、それぞれの行動をもとに説明せよ。
解答を見る
教経=敵を両脇に抱えて海に入るなど、最後まで勇猛で潔い武将。知盛=負けを見通して殺生をやめさせようとし、「見るべきほどのことは見つ」と言って静かに入水する、冷静で達観した武将。