『呂氏春秋』「知音」の書き下し文・現代語訳・重要語句・句法・内容をわかりやすく解説します。 「知音」は、琴の名手伯牙と、その演奏に込められた思いを正確に理解した鍾子期の友情を描いた故事です。
「知音」の意味
もともとは「音楽をよく理解する人」という意味です。 伯牙と鍾子期の故事から、現在では「自分のことを心から理解してくれる人・心の通じ合った親友」という意味で使われます。似た意味の語に「知己」があります。
『知音』のあらすじ
本文は二つの段落に分かれます。前半(「伯牙鼓琴」〜「若流水」)は、伯牙の琴の音から鍾子期がその心を読み取る話、後半(「鍾子期死」から)は、鍾子期を失った伯牙が琴をやめてしまう話です。
『知音』書き下し文・現代語訳・解説
白文伯牙鼓琴、鍾子期聴之。
書き下し伯牙琴を鼓し、鍾子期之を聴く。
現代語訳伯牙が琴を弾き、鍾子期がその音色を聴いた。
- 伯牙
- 春秋時代の楚の人。琴の名手。
- 鍾子期
- 春秋時代の楚の人。伯牙の友人。
- 鼓
- (楽器を)弾く、演奏する。
- 之
- 伯牙が弾く琴の音色を指す。
白文方鼓琴而志在太山、鍾子期曰、「善哉乎、鼓琴。巍巍乎若太山。」
書き下し琴を鼓して志太山に在るに方たりては、鍾子期曰はく、「善きかな、琴を鼓するや。巍巍乎として太山のごとし。」と。
現代語訳伯牙が琴を弾いて、その心が太山に向かっているときには、鍾子期は、「すばらしいなあ、君の琴の演奏は。高く険しくそびえる太山のようだ。」と言った。
- 方「あたりては」
- ~のときには、~の場合には。
- 志
- ここでは、伯牙が琴の演奏によって表そうとしている思い・心境。
- 太山
- 泰山。現在の中国山東省にある名山。
- 善哉乎「善きかな」
- すばらしいなあ。感嘆。
- 巍巍乎
- 山が高く険しくそびえる様子。「乎」は状態を表す助字で、「こ」と読む。
- 若~「~のごとし」
- ~のようだ。比況。「如」と同じ用法。
※ここでは「方」に三点を付け、「鼓琴而志在太山」全体を読んでから最後に「方たりては」と返って読んでいます。これとは別に、「方」に二点、「鼓」に一レ点を付け、「鼓琴」だけから「方」に返って「琴を鼓するに方たりて、志太山に在り。」と読む読み方もあります(「琴を弾いていたとき、心は太山にあった」となり、文意は大きく変わりません)。
「善哉乎、鼓琴」は、ふつうの語順なら「鼓琴、善哉乎」(琴を鼓する、善きかな)となるところを、「善哉乎」(すばらしいなあ)を先に出した倒置の形です。思わず口をついて出た感嘆を先に置くことで、鍾子期の感動の強さが表れています。
白文少選之間、而志在流水、鍾子期又曰、「善哉乎、鼓琴。湯湯乎若流水。」
書き下し少選の間にして、志流水に在れば、鍾子期又曰はく、「善きかな、琴を鼓するや。湯湯乎として流水のごとし。」と。
現代語訳しばらくして、今度は伯牙の心が流れる水に向かうと、鍾子期はまた、「すばらしいなあ、君の琴の演奏は。勢いよく流れていく川の水のようだ。」と言った。
- 少選之間
- しばらくの間。しばらくして。
- 流水
- 流れる水。
- 湯湯乎
- 水が勢いよく、盛んに流れる様子。
太山を思えば太山のような音を、流水を思えば流水のような音を伯牙は表現することができました。そして鍾子期は、その違いを正確に感じ取りました。この前半からは、伯牙の演奏の腕前と、伯牙の思いを聴き取る鍾子期の耳のたしかさがわかります。
白文鍾子期死。伯牙破琴絶絃、終身不復鼓琴。
書き下し鍾子期死す。伯牙琴を破り絃を絶ち、終身復た琴を鼓せず。
現代語訳やがて鍾子期が死んだ。伯牙は琴をたたき壊し、弦も切ってしまい、死ぬまで二度と琴を弾くことはなかった。
- 破琴
- 琴を壊す。
- 絶絃
- 琴の弦を断ち切る。
- 終身
- 一生涯。訓読みで読めば「身を終ふるまで」。
白文以為、世無足復為鼓琴者。
書き下し以為へらく、世に復た為に琴を鼓するに足る者無しと。
現代語訳世の中にはもう、自分が琴を弾いて聴かせるに値するほど、自分の音楽を理解してくれる人はいない、と伯牙は考えたのである。
- 以為「おもへらく」
- 思うことには、~と考える。「以て~と為す」と読むこともある。
- 為
- 「ためニ」。~のために。ここでは「その人のために」。
- 足る
- ~するに値する、~するだけの価値がある。
この一文の主語は伯牙で、「為に琴を鼓する」相手として伯牙が考えていたのは鍾子期です。
「知音」とはどのような意味か
「知音」は文字どおりには、「音を知る」という意味です。 鍾子期は伯牙の琴を聴くだけで、その音に込められている思いを理解することができました。
- もともとの意味:音楽をよく理解する人。
- 現在の意味:自分のことをよく理解してくれる人。心から理解し合える親友。(「知己」とほぼ同じ)
この話からは、親友の死を表す「伯牙絶絃(はくがぜつげん)」という成語も生まれました。
出典『呂氏春秋』について
この話は『呂氏春秋』孝行覧の「本味」篇にあります。『呂氏春秋』は、秦の呂不韋が食客(門人)たちに書かせて編集した書物で、さまざまな学派の説や説話が収められています。
原典では、この話の後に「琴だけでなく、賢者も同じである。賢者がいても、礼をもって迎えなければ、賢者は忠誠を尽くしようがない」という内容が続きます。つまり原典では、伯牙と鍾子期の話は、君主が賢者を理解し礼遇することの大切さを説くためのたとえとして使われています。「知音」として読まれるのは、このうち伯牙と鍾子期の話の部分です。
なお、「絶絃」を「絶弦」と書く本もあります。「絃」と「弦」は、ここではどちらも琴の糸の意味です。
『知音』テスト予想問題
A 読み・語句
次の語の本文中での読みを、送り仮名も含めて現代仮名遣いで答えよ。
①方(方鼓琴)
②以為
③為(為鼓琴)解答を見る
①あたりては
②おもえらく(書き下し文では「以為へらく」)
③ために次の語の本文中での意味を答えよ。
①巍巍乎
②湯湯乎
③少選之間
④足(足復為鼓琴者)解答を見る
①山が高く険しくそびえる様子。
②水が勢いよく流れる様子。
③しばらくして。
④~するに値する、~するだけの価値がある。
B 書き下し文・現代語訳
「善哉乎、鼓琴。」を書き下し文にし、現代語訳せよ。また、この文を倒置でない語順に直して、その書き下し文を答えよ。
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書き下し文:善きかな、琴を鼓するや。
現代語訳:すばらしいなあ、君が琴を弾くのは。
倒置でない形:鼓琴、善哉乎。(琴を鼓する、善きかな。)「巍巍乎若太山」を書き下し文にし、現代語訳せよ。また、「若」と同じ読み・意味で使われる漢字を一字答えよ。
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書き下し文:巍巍乎として太山のごとし。
現代語訳:高く険しくそびえる太山のようだ。
漢字:如「終身不復鼓琴」を書き下し文に改め、現代語訳せよ。また、「不復」はどのような意味を表すか答えよ。
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書き下し文:終身復た琴を鼓せず。
現代語訳:生涯二度と琴を弾かなかった。
「不復」:一度はしたことを、二度とはしないという意味(部分否定)。「以為、世無足復為鼓琴者」を書き下し文に改め、現代語訳せよ。また、このように考えたのはだれか答えよ。
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書き下し文:以為へらく、世に復た為に琴を鼓するに足る者無しと。
現代語訳:世の中には、もう琴を弾いて聴かせるに値する者はいないと考えた。
考えたのは:伯牙
C 内容の読み取り
「方鼓琴而志在太山」とあるが、伯牙はどのように琴を弾いていたのか、説明せよ。
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高くそびえる太山を心に思い描き、その思いを琴の音で表そうとしながら弾いていた。
鍾子期の「巍巍乎若太山」「湯湯乎若流水」という言葉から、鍾子期がどのような人物だとわかるか。
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伯牙が何も説明しなくても、琴の音を聴いただけで、伯牙がその音に込めた思いを聞き分けられる人物。
伯牙が琴を壊し、弦を断ち切った理由を説明せよ。
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自分の琴の音と、そこに込めた思いを本当にわかってくれる鍾子期がいなくなり、もう琴を弾いて聴かせる相手がこの世にいないと考えたから。
故事成語「知音」は、現在どのような意味で使われるか。また、それに近い意味の「知」を使った二字の熟語を答えよ。
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意味:自分のことを心から理解してくれる人。心から理解し合える親友。
熟語:知己