杜甫(とほ)の『石壕吏(せきがうのり)』の書き下し文・現代語訳・解説です。
旅の途中、作者は石壕村の民家に宿をとります。その夜、兵を集めるための役人がやって来ると、家のおじいさんは塀を越えて逃げ出し、おばあさんが応対に出ます。おばあさんは、息子たちが戦場にいること、家にはもう男がいないことを訴え、最後には自分が役人について行くと申し出ます。作者は自分の気持ちをほとんど書かず、見聞きしたことだけを順に描いて、戦乱に苦しむ民衆の姿を伝えています。
書き下し文・現代語訳・解説
役人がやって来る(第一句~第四句)
白文暮投石壕村
書き下し暮れに石壕の村に投ず
現代語訳日が暮れて、わたしは石壕村に宿を借りた。
- 石壕
- 地名。今の河南省にあった村。
- 投
- 宿をとる。投宿する。
白文有吏夜捉人
書き下し吏有り夜人を捉ふ
現代語訳すると役人が、夜中に人を捕まえにやって来た。
- 吏
- 役人。
- 捉人
- 戦争に使うために、男を強制的に連れて行くこと。徴発。
白文老翁踰牆走
書き下し老翁牆を踰えて走り
現代語訳宿のおじいさんは土塀を乗り越えて逃げ出し、
- 老翁
- 作者が泊まった家の主人である老人。
- 牆
- 土の塀。かき。
- 走
- 逃げる。ただ「走る」のではなく、役人から逃げることをいう。
白文老婦出門看
書き下し老婦門を出でて看る
現代語訳おばあさんが門口に出て、役人の応対をした。
- 老婦
- 老翁の妻。
- 看
- ここでは、応対する。
役人の怒声と老婦の泣き声(第五句~第七句)
白文吏呼一何怒
書き下し吏の呼ぶこと一に何ぞ怒しき
現代語訳役人のどなる声の、なんと荒々しいことか。
- 呼
- 大声で呼ぶ。どなる。
- 一何
- なんとまあ。「一」は意味を強める字。
白文婦啼一何苦
書き下し婦の啼くこと一に何ぞ苦しき
現代語訳おばあさんの泣き声の、なんとつらそうなことか。
- 啼
- 声をあげて泣く。
- 第五句と第六句は対句。「吏」と「婦」、「呼」と「啼」、「怒」と「苦」が対応する。
- 「苦」は「苦だしき(はなはだしき)」と読むこともある。
白文聴婦前致詞
書き下し婦の前みて詞を致すを聴くに
現代語訳おばあさんが役人の前に進み出て申し上げる言葉を聞くと、
- 前
- 「すすム」。前に進み出る。
- 致詞
- 言葉を述べる。申し上げる。
- 聴く人は作者。作者は家の中で、このやりとりを聞いている。
老婦の言葉(第八句~第二十句)
白文三男鄴城戍
書き下し三男鄴城に戍る
現代語訳「三人の息子は、みな鄴城の守りについております。
- 三男
- 三人の息子。三番目の息子のことではない。
- 鄴城
- 地名。洛陽の東北にあった町。官軍と反乱軍が戦った場所。
- 戍
- 国境や城を守る。守備につく。
白文一男附書至
書き下し一男書を附して至れるに
現代語訳そのうちの一人が、人に手紙をことづけてよこしましたが、
- 一男
- 三人のうちの一人の息子。長男という意味ではない。
- 附書
- 手紙を人にことづける。
白文二男新戦死
書き下し二男新たに戦死せりと
現代語訳(それによると、)ほかの二人の息子は、つい近ごろ戦死したとのことです。
- 二男
- 二人の息子。次男という意味ではない。
- 新
- 最近。つい先ごろ。
白文存者且偸生
書き下し存する者は且く生を偸むも
現代語訳生き残った者は、さしあたり、どうにか命をつないでおりますが、
- 存者
- 生きている者。生き残った一人の息子。
- 且
- 「しばらク」。とりあえず。さしあたり。
- 偸生
- かりそめの命をむさぼる。どうにか生きながらえる。いつ死ぬかわからない戦場での命であることをいう。
白文死者長已矣
書き下し死する者は長に已みぬ
現代語訳死んだ者は、もう永遠に終わりです。
- 長
- 「とこしへニ」。永遠に。いつまでも。
- 已
- 終わる。死んだ者は二度と帰ってこないということ。
- 矣
- 文末の置き字。読まない。
- 第十一句と第十二句は、「存者」と「死者」を対比している。
白文室中更無人
書き下し室中更に人無く
現代語訳家の中には、もうほかに男はおりません。
- 室中
- 家の中。
- 更
- そのうえに。もう。
- 人
- ここでは、徴発の対象になる大人の男をさす。
白文惟有乳下孫
書き下し惟だ乳下の孫有るのみ
現代語訳ただ、乳離れしていない孫がいるだけです。
- 乳下孫
- 母の乳にすがっている孫。乳飲み子。
白文孫有母未去
書き下し孫には母の未だ去らざる有るも
現代語訳孫には、まだこの家を去らずにいる母親がおりますが、
- 母
- 孫の母。老婦の息子の妻。戦死した息子の妻とする説がある。
- 未去
- まだ家を去らない。乳飲み子がいるので、実家に帰らずにこの家にいるということ。
白文出入無完裙
書き下し出入するに完裙無し
現代語訳(その母親には、)外に出るにも、満足なスカートさえない状態です。
- 出入
- 外に出たり入ったりすること。外出。
- 完裙
- 破れていない、ちゃんとしたスカート。「裙」は腰から下に着ける衣服。
白文老嫗力雖衰
書き下し老嫗力衰ふと雖も
現代語訳この年寄りは、力は衰えておりますが、
- 老嫗
- 年老いた女。老婦が自分のことを言っている。
白文請従吏夜帰
書き下し請ふ吏に従ひて夜帰せん
現代語訳どうか、お役人さまについて、今夜のうちに参らせてください。
- 請
- 「こフ」。どうか〜させてください。自分がしたいことを願う言い方。
- 夜帰
- 夜のうちに(陣地へ)おもむく。
白文急応河陽役
書き下し急に河陽の役に応ぜば
現代語訳すぐに河陽の労役に駆けつけましたら、
- 河陽
- 地名。今の河南省にあり、官軍の陣地があった。
- 役
- 労役。人々が国に駆り出されてする仕事。
白文猶得備晨炊
書き下し猶ほ晨炊に備ふるを得んと
現代語訳(わたしのような者でも、)まだ朝の飯炊きの役には立てるでしょう。」と。
- 猶
- それでもまだ。
- 晨炊
- 朝の飯炊き。「晨」は朝。
- 備
- 間に合わせる。役に立てる。
- 得
- 〜できる。
- 書き下し文の最後の「と」で、老婦の言葉が終わる。
夜明けの別れ(第二十一句~第二十四句)
白文夜久語声絶
書き下し夜久しくして語声絶え
現代語訳夜がすっかり更けて、話し声が聞こえなくなり、
- 語声
- 話し声。老婦と役人の話す声。
- 絶
- とだえる。老婦が役人に連れて行かれたことを暗に示している。
白文如聞泣幽咽
書き下し泣きて幽咽するを聞くがごとし
現代語訳声をおし殺してむせび泣くのが、かすかに聞こえたような気がした。
- 幽咽
- 声を立てずに、かすかにむせび泣く。
- 如
- 「ごとシ」。〜のようだ(比況)。
- 聞いているのは作者。泣いているのが誰かは説が分かれるが、孫の母とする説が多い。
白文天明登前途
書き下し天明前途に登るに
現代語訳夜が明けて、わたしが旅路につくとき、
- 天明
- 夜明け。
- 前途
- これから先の道のり。旅路。
- 登前途
- 旅に出発する。
白文独与老翁別
書き下し独り老翁と別る
現代語訳ただおじいさんとだけ、別れのあいさつをした。
- 独
- ただ〜だけ。
- 与
- 「と」と読む。〜と。
- 老翁と別れたのは作者。逃げていた老翁は、夜のうちに家に戻っていたことがわかる。
テスト予想問題
A 詩の形式・語句
この詩の作者と詩の形式を答えよ。
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作者:杜甫 詩の形式:五言古詩
次の語を、送り仮名まで含めてどう読むか。現代仮名遣いのひらがなで書け。
①捉ふ
②且く
③長に
④猶ほ
⑤雖も解答を見る
①とらう
②しばらく
③とこしえに
④なお
⑤いえども次の語の意味を答えよ。
①走(老翁踰牆走)
②乳下孫
③完裙
④晨炊解答を見る
①逃げる
②乳離れしていない孫(乳飲み子の孫)
③ちゃんとした(破れていない)スカート
④朝の飯炊き
B 書き下し文・現代語訳
「吏呼一何怒」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:吏の呼ぶこと一に何ぞ怒しき
現代語訳:役人のどなる声の、なんと荒々しいことか。「惟有乳下孫」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:惟だ乳下の孫有るのみ
現代語訳:ただ乳離れしていない孫がいるだけです。「請従吏夜帰」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:請ふ吏に従ひて夜帰せん
現代語訳:どうか役人について、今夜のうちに参らせてください。
C 内容の読み取り
「老翁踰牆走」とあるが、老翁が逃げたのはなぜか。
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役人に捕まって、兵や労役のために連れて行かれるのを逃れるため。
「婦前致詞」の「詞」(老婦の言葉)は、どの句からどの句までか。それぞれの句を抜き出せ(訓点不要)。
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三男鄴城戍 ~ 猶得備晨炊
老婦の三人の息子は、それぞれどうなっているか。
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三人とも鄴城の守備に出ていて、そのうち二人は最近戦死し、一人だけが生き残っている。
「存者且偸生」とは、生き残った息子がどのような状況にあることを言っているか。
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戦場にいて、いつ死んでもおかしくないが、とりあえず今は、どうにか命をつないでいるという状況。
「独与老翁別」から、老婦はどうなったとわかるか。また、この詩で作者が描こうとしたことを説明せよ。
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老婦は役人に連れて行かれた。
長く続く戦乱のために、年老いた女性まで駆り出されるという、民衆の悲惨な姿。
杜甫の詩をもっと読む
出征する兵士とその家族の嘆きを描いた杜甫の長編古詩『兵車行』も読んでみましょう。