李景亮『人虎伝(じんこでん)』③「化して異獣と為り、人に靦づる有り」の書き下し文・現代語訳・解説です。中島敦「山月記」の原典となった唐代の伝奇小説で、本文は『唐人説薈』によります。
②では、人食い虎が出る道を進んだ袁傪が、草むらに隠れた虎から声をかけられ、その虎が旧友の李徴だと知りました。
書き下し文・現代語訳・解説
虎になっていく
白文虎曰、「我前身客呉楚。
書き下し虎曰はく、「我が前身呉楚に客たり。
現代語訳虎は言った、「私は人間だったころ、呉楚の地方に旅をしていた。
- 前身
- 虎になる前の身。人間だったころ。
- 客
- 「かくタリ」。旅人として滞在する。
白文去歳方還、道次汝墳、忽嬰疾発狂。
書き下し去歳方に還らんとして、道に汝墳に次り、忽ち疾に嬰りて発狂す。
現代語訳去年、ちょうど(故郷に)帰ろうとして、途中、汝墳に泊まったとき、突然病気にかかって正気を失った。
- 去歳
- 去年。
- 方
- 「まさニ」。ちょうど。ここは再読文字ではない。
- 次
- 「やどル」。宿泊する。
- 嬰
- 「かかル」。(病気に)かかる。
白文夜聞戸外有呼吾名者、遂応声而出、走山谷間。
書き下し夜戸外に吾が名を呼ぶ者有るを聞き、遂に声に応じて出で、山谷の間を走る。
現代語訳夜、戸口の外から私の名を呼ぶ声がしたので、すぐにその声にこたえて外へ出て、山や谷を駆け回った。
- 戸外
- 戸の外。家の外。
- 遂
- 「つひニ」。そのまま。
- 応声
- 呼ぶ声に応じる。
白文不覚、以左右手攫地而歩。
書き下し覚えず、左右の手を以て地を攫みて歩む。
現代語訳いつのまにか、両手で地面をつかみながら歩くようになっていた。
- 不覚
- 「覚えず」。知らないうちに。
- 攫
- 「つかム」。つかむ。
白文自是覚心愈狠、力愈倍。
書き下し是れより心愈狠、力愈倍せるを覚ゆ。
現代語訳この時から、心はますます残忍になり、力もますます強くなっていくのを感じた。
- 自是
- 「是れより」。この時から。
- 愈
- 「いよいよ」。ますます。
- 狠
- 残忍なこと。心がねじ曲がること。
- 倍
- 強さが増す。
白文及視其肱髀、則有毛生焉。
書き下し其の肱髀を視るに及びては、則ち毛の生ぜる有り。
現代語訳自分のひじやももをよく見てみると、なんと毛が生えていた。
- 肱髀
- ひじと、もも。
- 焉
- 置き字。
白文心甚異之。
書き下し心に甚だ之を異しむ。
現代語訳心の中で、とても不思議に思った。
- 異
- 「あやシム」。不思議に思う。
- 之
- ひじやももに毛が生えてきたこと。
白文既而臨渓照影、已成虎矣。
書き下し既にして渓に臨みて影を照らせば、已に虎と成れり。
現代語訳やがて谷川に臨んで自分の姿を水に映してみると、もう虎になっていた。
- 既而
- 「既にして」。やがて。まもなく。
- 渓
- 谷川。
- 照影
- 水面に姿を映す。
- 已
- 「すでニ」。もう。
白文悲慟良久。
書き下し悲慟すること良久し。
現代語訳(私は)しばらくの間、悲しんで声をあげて泣いた。
- 悲慟
- 悲しんで声をあげて泣く。
- 良久
- 「やや久し」。しばらくの間。
人を食べてしまう
白文然尚不忍攫生物食也。
書き下し然れども尚ほ生物を攫みて食らふに忍びざるなり。
現代語訳けれども、それでもまだ、生き物をつかまえて食べることはできなかった。
- 尚
- 「なホ」。それでもまだ。
- 不忍A
- 「Aに忍びず」。Aするのに耐えられない。とてもAする気になれない。
- ○虎になったばかりで、まだ人間の心が残っていたので、生き物を殺して食べることにためらいがあったと考えられる。
白文既久飢不可忍、遂取山中鹿豕獐兎充食。
書き下し既に久しくして飢ゑて忍ぶべからず、遂に山中の鹿豕獐兎を取りて食に充つ。
現代語訳やがて時がたつと、飢えて我慢できなくなり、とうとう山中の鹿・いのしし・のろじか・兎などをとって食べ物にするようになった。
- 不可忍
- 我慢することができない。
- 鹿豕獐兎
- 鹿・いのしし・のろじか・兎などの野生の獣。
- 充食
- 食べ物にあてる。
白文又久諸獣皆遠避、無所得、飢益甚。
書き下し又久しくして諸獣皆遠く避け、得る所無く、飢ゑ益甚だし。
現代語訳さらに時がたつと、獣たちはみな(私を)遠く避けるようになり、獲物がとれなくなって、飢えはますますひどくなった。
- 諸獣
- 獣たち。
- 無所得
- 「得る所無く」。手に入れるものがない。獲物がとれない。
- 益
- 「ますます」。
白文一日有婦人、従山下過。
書き下し一日婦人有り、山下より過ぐ。
現代語訳ある日のこと、一人の女性が山のふもとを通りかかった。
- 一日
- ある日。
- 従
- 「よリ」。~を。~から。
- 山下
- 山のふもと。
白文時正餒迫、徘徊数四、不能自禁、遂取而食。
書き下し時に正に餒ゑ迫り、徘徊すること数四、自ら禁ずること能はず、遂に取りて食らふ。
現代語訳そのとき(私は)ちょうど飢えにせまられていたので、何度もあたりを行ったり来たりしたあげく、自分で自分をおさえることができず、とうとう(その女性を)とらえて食べてしまった。
- 正
- 「まさニ」。ちょうど。
- 餒
- 「うウ」。飢える。
- 徘徊
- あちこち歩き回る。
- 数四
- しばしば。何度も。
- 自禁
- 自分で自分をおさえる。
- ○徘徊数四
- 人を食べることには、さすがにためらい、迷っていた様子が表れている。
白文今其首飾、猶在巌石之下也。
書き下し今其の首飾、猶ほ巌石の下に在るなり。
現代語訳今でもその女性の髪飾りが、大きな岩のもとに残っている。
- 首飾
- 髪飾り。かんざし。
- 猶
- 「なホ」。今でもまだ。ここは再読文字ではない。
- 巌石
- 大きな岩。
人に顔向けできない
白文非不念妻孥、思朋友。
書き下し妻孥を念ひ、朋友を思はざるに非ず。
現代語訳妻子のことを気にかけたり、友人のことを思ったりしないわけではない。
- 妻孥
- 妻子。「孥」は子ども。
- 朋友
- 友人。
白文直以行負神祇、一旦化為異獣、有靦於人。
書き下し直だ行ひ神祇に負けるを以て、一旦化して異獣と為り、人に靦づる有り。
現代語訳ただ、自分の行いが天地の神々に背いていたために、ある日突然、獣に変わってしまったので、人に顔を合わせるのが恥ずかしいのだ。
- 直
- 「たダ」。ただ~だけ。
- 行
- 行い。
- 負
- 「そむク」。背く。
- 神祇
- 天地の神。
- 一旦
- ある日突然。
- 異獣
- 人間とは違う獣。
- 靦
- 「はヅ」。恥じる。
白文故分不見矣。」
書き下し故に分として見えず。」と。
現代語訳だから、獣の身としては、(君に)会うわけにはいかないのだ。」と。
- 分
- (獣としての)分際。身のほど。
- 見
- 「まみユ」。会う。顔を合わせる。
- 矣
- 置き字。
白文因呼吟咨嗟、殆不自勝遂泣。
書き下し因りて呼吟咨嗟し、殆ど自ら勝へずして遂に泣く。
現代語訳そう言って、うなり声をあげてため息をつき、こらえきれない様子で、とうとう泣き出した。
- 呼吟
- うなる。
- 咨嗟
- ため息をついて嘆く。
- 不自勝
- 自分をおさえきれない。こらえられない。
心ははっきりしている
白文傪且問曰、「君今既為異類。何尚能人言耶。」
書き下し傪且つ問ひて曰はく、「君今既に異類と為る。何ぞ尚ほ人の言を能くするか。」と。
現代語訳袁傪はさらに尋ねた、「君は今、もう人間ではないものになってしまった。(それなのに)どうしてまだ人間の言葉を話せるのか。」と。
- 且
- 「かツ」。さらに。
- 異類
- 人間とは違う種類のもの。獣。
- 何
- 「なんゾ」。どうして。(疑問)
- 能
- 「よクス」。上手にできる。
白文虎曰、「我今形変、而心悟耳。
書き下し虎曰はく、「我今形変ずるも、心悟むるのみ。
現代語訳虎は言った、「私は今、姿は変わってしまったが、心はまだはっきりしているのだ。
- 形
- 姿。外見。
- 悟
- 「さム」。心がはっきりしている。正気である。
- 耳
- 「のみ」。~だけだ。~なのだ。(限定・強調)
- 而
- 置き字。
白文自居此地、不知歳月多少。
書き下し此の地に居りてより、歳月の多少を知らず。
現代語訳この地に住むようになってから、どれほどの月日がたったのかわからない。
- 自
- 「よリ」。~から。
- 多少
- どれほど。ここはどれくらいの長さか、ということ。
白文但見草木栄枯耳。
書き下し但だ草木の栄枯するを見るのみ。
現代語訳ただ、草木が茂ったり枯れたりするのを見るだけだった。
- 但
- 「たダ」。ただ~だけ。
- 栄枯
- (草木が)茂ったり枯れたりする。
白文近日絶無過客、久飢難堪。
書き下し近日絶えて過客無く、久しく飢ゑて堪へ難し。
現代語訳近ごろは通りかかる旅人がまったくなく、長い間飢えていて、我慢できなかった。
- 近日
- 近ごろ。
- 絶
- 「たエテ」。(打消を伴って)まったく~ない。
- 過客
- 通りかかる旅人。
白文不幸唐突故人。慙惶殊甚。」
書き下し不幸にして故人に唐突す。慙惶殊に甚だし。」と。
現代語訳不運にも、旧友(の君)に不意に飛びかかってしまった。本当に恥ずかしく、申しわけない。」と。
- 唐突
- 不意につきあたる。いきなり飛びかかる。
- 慙惶
- 恥じて恐れ入る。
- 殊
- 「ことニ」。とりわけ。
白文傪曰、「君久飢。食籃中有羊肉数斤。留以為贈、可乎。」
書き下し傪曰はく、「君久しく飢う。食籃の中に羊肉数斤有り。留めて以て贈るを為さん、可ならんか。」と。
現代語訳袁傪は言った、「君は長い間飢えている。食べ物を入れた竹かごの中に羊の肉が数斤ある。ここに残して贈ろうと思うが、よいだろうか。」と。
- 食籃
- 食べ物を入れる竹のかご。
- 斤
- 重さの単位。
- 可乎
- 「可ならんか」。よいだろうか。
白文曰、「吾方与故人道旧、未暇食也。君去則留之。」
書き下し曰はく、「吾方に故人と旧を道へば、未だ食らふに暇あらざるなり。君去るとき則ち之を留めよ。」と。
現代語訳(虎は)言った、「私は今ちょうど旧友と昔話をしているところだから、食べている暇はない。君が立ち去るときに、置いていってくれ。」と。
- 方
- 「まさニ」。ちょうど今。
- 道旧
- 昔のことを語る。昔話をする。
- 未暇A
- 「未だAに暇あらず」。まだAする暇がない。
- 之
- 羊の肉。
テスト予想問題
A 語句
次の語の読み(送り仮名を含め、現代仮名遣いのひらがな)と意味を答えよ。
①次
②愈
③良久
④数四
⑤直解答を見る
①やどり/宿泊する
②いよいよ/ますます
③ややひさし/しばらくの間
④すうし/何度も・しばしば
⑤ただ/ただ~だけ次の語の意味を答えよ。
①前身
②狠
③肱髀
④妻孥
⑤神祇解答を見る
①人間だったころの身
②残忍なこと
③ひじと、もも
④妻子
⑤天地の神
B 書き下し文・現代語訳
「夜聞戸外有呼吾名者」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:夜戸外に吾が名を呼ぶ者有るを聞き、
現代語訳:夜、戸口の外から私の名を呼ぶ声がしたので、「然尚不忍攫生物食也」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
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書き下し文:然れども尚ほ生物を攫みて食らふに忍びざるなり。
現代語訳:けれども、それでもまだ、生き物をつかまえて食べることはできなかった。「非不念妻孥、思朋友」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
解答を見る
書き下し文:妻孥を念ひ、朋友を思はざるに非ず。
現代語訳:妻子のことを気にかけたり、友人のことを思ったりしないわけではない。「但見草木栄枯耳」を書き下し文にし、現代語訳せよ。
解答を見る
書き下し文:但だ草木の栄枯するを見るのみ。
現代語訳:ただ、草木が茂ったり枯れたりするのを見るだけだった。
C 内容の読み取り
「心甚異之」の「之」は、どのようなことを指すか。
解答を見る
(李徴の)ひじやももから、毛が生えてきたこと。
「不能自禁、遂取而食」とあるが、何を取って食べたのか。また、食べる前に迷っていた様子を表す部分を、本文から四字で抜き出せ。
解答を見る
婦人(山のふもとを通りかかった女性)。
徘徊数四「有靦於人」とあるが、李徴はなぜ人に顔を合わせるのを恥ずかしいと思っているのか。
解答を見る
天地の神に背くような行い(人まで食べてしまったこと)をしたために、獣になってしまったから。
「故分不見矣」とは、どういうことか。
解答を見る
獣になってしまった身としては、(旧友の袁傪に)顔を合わせるわけにはいかない、ということ。
続き(④)
李徴は袁傪に、残された妻子のことと、自分の詩文を書きとめてほしいことを頼み、今の思いを詩に詠みます。