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『伊勢物語 東下り」の現代語訳・解説

昔、男あり けり(過去「けり」終) 。

昔、男がいた。

○『伊勢物語』は短い話を百話ほど集めた作品だが、多くが「昔。男ありけり」で始まる。

〇この「男」は在原業平がモデルであるとされています。

その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあら (打消意志「じ」終) 、あづまの方に住む べき(適当(可能)「べし」体) 国求めにとてゆきけり(過去「けり」終)

その男はわが身を(世間には)必要でないものと思い決めて、都にはいるまい、東国の方に住むにふさわしい(住むことのできる)国を探し求めに行こうと思って、出かけていった。

要なきもの…必要のない者

あずまの方…東国の方

もとより友とする人、一人二人して行き けり(過去「けり」終)。道知れ (存続「り」体) 人もなくて、まどひ行き けり(過去「けり」終)

以前から友とする人、一人二人とともに行った。道を知っている人もいなくて、迷いながら行った。

「e」の音につく「る」は存続完了の助動詞「り」の連体形。

三河の国八橋といふ所に至り (完了「ぬ」終) 。そこを八橋といひ ける(過去「けり」体) は、水ゆく河の蜘蛛手 なれ(断定「なり」已)  ば、橋を八つ渡せ (存続「り」体) によりてなむ()、八橋といひ ける(過去「けり」体)

三河の国の八橋という所に着いた。そこを八橋といったのは、水の流れていく河が蜘蛛の足のように八方に流れているので、橋を八つ渡してあるのによって、八橋といったのであった。

○「已然形+ば」の「ば」は順接確定条件といって、「~ので」「~すると」などと訳します。「蜘蛛手なれば」は「蜘蛛の手のようであるので」などとなります。

※の「なむ」は係助詞で強意の意味があります。強意(強調)なので、特に訳す必要はありません。

重要なのはこの「なむ」があると、文末が終止形ではなく、連体形になることです。これを「係り結び」といいます。この文では文末が「けり」ではなく、連体形の「ける」になっています。

その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひ けり(過去「けり」終)。その沢にかきつばたいとおもしろく咲き たり(存続「たり」終)

その沢のほとりの木の陰に(馬から)下りて座って、乾飯を食べた。その沢に、かきつばたが、とても美しく咲いている。

下りゐて…馬から下りて座って。「ゐ」はワ行上一段活用動詞「()る」の連用形で、「座る」という意味があります。

乾飯…米を乾燥させた携帯食料。水でもどして食べる。

おもしろく…美しく、趣深く

それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字を句の上にすゑて、旅の心を詠め。」と言ひ けれ(過去「けり」已) ば、詠め (完了「り」体) 。

それを見て、ある人が言うには、「かきつばた、という五文字を句の上に置いて、旅の思いを詠め。」と言ったので、(男が)詠んだ歌。

句の上にすゑて…「か○○○○ き○○○○○○ つ○○○○ ば○○○○○○ た○○○○○○」と「5・7・5・7・7」のそれぞれ一文字目において。折句という技法。当時は「は」と「ば」を区別しなかったので、次の歌の三句目は「は」になっています。

「すゑ」…ワ行下二段活用動詞「据う」の連用形。ワ行下二段活用動詞は「据う・飢う・植う」がありました。

から衣きつつなれ (完了「ぬ」用) (過去「き」体) つましあればはるばるき ぬる(完了「ぬ」体) 旅をしぞ思ふ

いつも着ていて身になじんだ唐衣の褄のように、馴れ親しんだ妻が都にいるので、はるばる遠くまでやって来た旅を、悲しく思うことだ。

○重要。序詞、縁語などの技法は、高校一年生にはかなり難しいので(分からなくてよい)、試験のためにはとりあえず高校の授業の説明を丸暗記してしまいましょう。

・「から衣」が「着(つつ)」を導く枕詞。枕詞は基本的には訳しません。

枕詞とは特定の語(ここでは「着る」)の前につける決まった言葉(ここでは「から衣」)のことです。野球の松井秀喜さんを「ゴジラ松井」と呼ぶときの「ゴジラ」のような感じととらえてください。

・「から衣きつつ」が「なれ」を導く序詞。序詞は訳します。

・「なれ」が「慣れ」「褻れ」、「つま」が「妻」「褄」、「はる」が「張る」「遥」、「き(ぬる)」が「来」「着」の掛詞。

掛詞とは一つの音に二つの意味をもたせることです。

・「から衣」「着」「褻れ」「褄」が縁語。

と詠め (完了「り」用) けれ(過去「き」已) ば、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとび (完了「ぬ」用) けり(過去「けり」終)

と詠んだので、皆、乾飯の上に涙を落として、乾飯はふやけてしまった。

○和歌に感動して流した涙によって、乾飯がふやけるという誇張表現。

 

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