白居易『長恨歌』の「漢皇重色思傾国」から「不重生男重生女」までの書き下し文・現代語訳・重要語句・内容をわかりやすく解説します。
この部分では、玄宗が楊貴妃と出会い、その美しさに魅了されて寵愛を一身に注ぎ、しだいに政治をおろそかにしていく様子が描かれています。
『長恨歌』とは
『長恨歌』は、中唐の詩人・白居易(白楽天)が、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の情愛を題材として詠んだ七言古詩です。
作品中では、玄宗を直接「玄宗」と呼ばず「漢皇」とし、楊貴妃についてもはじめは「楊家有女」と表現しています。
『長恨歌』① 書き下し文・現代語訳・解説
漢皇重色思傾国
御宇多年求不得
漢皇 色を重んじて傾国を思ふ。
御宇多年 求むれども得ず。
皇帝は女性の美しさを好み、国を傾けるほどの絶世の美女を得たいと思っていた。
長年天下を治めてきたが、そのような女性を探し求めても得ることができなかった。
・漢皇…漢の皇帝。ここでは実際には唐の玄宗皇帝を指す。
・傾国…国を傾けるほどの絶世の美女。
・御宇…天子が天下を治めること。また、その治世。
○「漢皇」とあるが、この詩の題材となっているのは唐の玄宗皇帝と楊貴妃の物語。「傾国」は、この後登場する楊貴妃の並外れた美しさを印象づける語でもある。
楊家有女初長成
養在深閨人未識
楊家に女有り、初めて長成す。
養はれて深閨に在り、人未だ識らず。
楊家に一人の娘がおり、ちょうど年頃に成長したところであった。
家の奥深くにある女性の部屋で大切に育てられていたので、世間の人はまだその存在を知らなかった。
・初長成…年頃に成長したばかりである。
・深閨…家の奥深くにある女性の部屋。
・女…楊貴妃を指す。
天生麗質難自棄
一朝選在君王側
天生の麗質 自ら棄て難く、
一朝 選ばれて君王の側に在り。
生まれつきの美しい容姿は、そのまま世に埋もれさせておけるようなものではなく、
ある日選ばれて皇帝のそばに仕える身となった。
・天生…生まれつき。
・麗質…生まれつきの美しい容姿。
・一朝…ある日。ある時。
「天生麗質難自棄」
楊貴妃の美しさは、人に知られないまま放っておかれるようなものではなかった、ということ。
迴眸一笑百媚生
六宮粉黛無顔色
眸を迴らして一笑すれば百媚生じ、
六宮の粉黛 顔色無し。
楊貴妃が瞳をめぐらせてひとたび微笑むと、さまざまななまめかしい魅力があふれ出した。
後宮にいる化粧をした美女たちも、楊貴妃の前では美しさが色あせて見えた。
・迴眸…瞳をめぐらす。
・百媚…さまざまななまめかしさ、美しさ。
・六宮…皇后や妃などが住む後宮。
・粉黛…おしろいと眉墨。ここでは化粧をした後宮の美女たち。
・無顔色…美貌が見劣りする。
○「六宮粉黛無顔色」は、後宮にいる多くの美女でさえ楊貴妃の前では見劣りしたという表現。楊貴妃の並外れた美しさを強調している。
春寒賜浴華清池
温泉水滑洗凝脂
春寒くして浴を賜ふ 華清の池。
温泉 水滑らかにして凝脂を洗ふ。
まだ寒さの残る春、楊貴妃は華清宮の温泉で入浴することを皇帝から許された。
温泉の水はなめらかで、楊貴妃の白くなめらかな肌を洗った。
・華清池…華清宮にあった温泉。
・凝脂…固まった脂。ここでは白く、きめ細かく、なめらかな楊貴妃の肌のたとえ。
侍児扶起嬌無力
始是新承恩沢時
侍児 扶け起こすに嬌として力無し。
始めて是れ新たに恩沢を承くる時。
侍女たちに支えられて立ち上がると、なまめかしく力が入らないような姿であった。
まさにこのころが、楊貴妃が新たに皇帝の寵愛を受け始めた時であった。
・嬌…なまめかしく愛らしい様子。
・恩沢…天子から受ける恵み。ここでは玄宗の寵愛。
雲鬢花顔金歩揺
芙蓉帳暖度春宵
雲鬢 花顔 金歩揺。
芙蓉の帳 暖かにして春宵を度る。
雲のように豊かな髪、花のように美しい顔、そして歩くたびに揺れる黄金の髪飾り。
蓮の花を刺繍した帳の中は暖かく、玄宗と楊貴妃は春の夜をともに過ごした。
・雲鬢…雲のように豊かで美しい髪。
・花顔…花のように美しい顔。
・金歩揺…歩くと揺れる黄金製の髪飾り。
・芙蓉帳…蓮の花を縫い取った寝室の帳。
春宵苦短日高起
従此君王不早朝
春宵 短きに苦しみ、日高くして起く。
此れより君王 早朝せず。
春の夜が短いことを惜しみ、玄宗は日が高くなってから起きるようになった。
それ以来、皇帝は朝早くから政務を執らなくなった。
・春宵…春の夜。
・従此…これより、これ以後。
・早朝…朝早く朝廷に出て政務を執ること。
「従此君王不早朝」
玄宗が楊貴妃との生活に夢中になり、皇帝としての政務をおろそかにするようになったことを示す。
ここまでは楊貴妃の美しさや二人の華やかな生活が描かれているが、この一句によって、その寵愛が政治にも影響し始めていることがわかる。
承歓侍宴無閑暇
春従春遊夜専夜
歓びを承け宴に侍して閑暇無く、
春は春の遊びに従ひ、夜は夜を専らにす。
楊貴妃は玄宗を喜ばせ、宴にも付き従い、皇帝のそばを離れる暇もなかった。
春には春の遊びのお供をし、夜には皇帝の愛情を独占した。
・承歓…相手を喜ばせ、その機嫌を取る。
・侍宴…宴席で皇帝のそばに仕える。
・閑暇…暇。
・専夜…皇帝と夜をともにすることを独占する。
○「無閑暇」の主語は楊貴妃。玄宗の寵愛が非常に厚く、楊貴妃は常に玄宗のそばにいたことを表している。
後宮佳麗三千人
三千寵愛在一身
後宮の佳麗三千人。
三千の寵愛 一身に在り。
後宮には美しい女性が三千人もいたが、
その三千人に向けられるはずの皇帝の寵愛が、楊貴妃一人に集中していた。
・佳麗…美しい女性。
・一身…ここでは楊貴妃一人。
「三千寵愛在一身」
後宮の三千人の美女に分けて注がれるほどの玄宗の愛情が、楊貴妃一人だけに集中したということ。
玄宗が楊貴妃をどれほど特別に愛していたかを強調する表現である。
金屋粧成嬌侍夜
玉楼宴罷酔和春
金屋 粧ひ成りて嬌として夜に侍し、
玉楼 宴罷みて酔うて春に和す。
豪華な御殿で化粧を整え、なまめかしい姿で夜の皇帝に仕えた。
美しい楼閣で宴が終わると、酒に酔い、春の雰囲気に溶け込んでいった。
・金屋…黄金で飾られた豪華な部屋。
・玉楼…玉で飾られた美しい楼閣。豪華な宮殿。
・宴罷…宴が終わる。
姉妹弟兄皆列土
可憐光彩生門戸
姉妹弟兄 皆土を列す。
憐れむべし 光彩の門戸に生ずるを。
楊貴妃の姉妹や兄弟も、みな領地を与えられて高い地位を得た。
ああ、なんと華やかなことだろう、楊氏一族の家々にまで輝かしい栄光が生じた。
・列土…領地を与えられ、高い身分に取り立てられる。
・可憐…ここでは現代語の「かわいそう」とは異なり、感嘆を表す。
・門戸…ここでは楊氏一族の家。
○玄宗の寵愛によって栄えたのは楊貴妃だけではなく、その姉妹や兄弟にまで恩恵が及んだ。
遂令天下父母心
不重生男重生女
遂に天下の父母の心をして、
男を生むを重んぜず、女を生むを重んぜしむ。
こうしてついには、世の中の父母たちに、男の子が生まれることを重んじず、むしろ女の子が生まれることを重んじさせるようになった。
・遂…「つひニ」とうとう、ついに。
令A B「AをしてBせしむ」
意味:AにBさせる。 使役の句法。
ここでは「天下の父母の心」に、「男児の誕生を重んじず、女児の誕生を重んじる」という考えを持たせた、という意味。
なぜ女の子の誕生を重んじるようになったのか
楊貴妃が玄宗の寵愛を一身に受けた結果、その姉妹や兄弟まで領地や高い地位を得た。
そこで世の父母たちは、自分たちの娘も皇帝に愛されれば、一族全体が栄えるかもしれないと考えるようになったのである。
『長恨歌』①のあらすじ・内容
玄宗は長い間、絶世の美女を求めていました。そこに現れたのが、楊家で大切に育てられていた楊貴妃です。
楊貴妃は、ひとたび微笑むだけで後宮の美女たちが見劣りするほどの美貌の持ち主として描かれています。玄宗は楊貴妃を深く寵愛し、やがて朝の政務を行わなくなるほど彼女との生活に夢中になっていきます。
後宮には多くの美女がいましたが、玄宗の愛情は楊貴妃一人に集中しました。さらに楊貴妃の姉妹や兄弟まで高い地位を得たため、世間では男の子よりも女の子の誕生を喜ぶようになった、と描かれています。
この部分の重要ポイント
前半では、楊貴妃の圧倒的な美しさと、玄宗から受ける華やかな寵愛が描かれています。
しかし「従此君王不早朝」によって、玄宗が政治をおろそかにし始めたことも示されます。
つまり、二人の幸福の絶頂を描きながら、その裏側では後の悲劇へつながる変化がすでに始まっているのです。
『長恨歌』① テスト予想問題
問1 『長恨歌』の作者と詩形を答えよ。
問2 「漢皇」と「楊家有女」は、それぞれ誰を指しているか。
問3 「傾国」とはどのような意味か。
問4 「天生麗質難自棄」を現代語訳せよ。
問5 「六宮粉黛無顔色」は、楊貴妃のどのような点を表しているか。
問6 「凝脂」は何をたとえた表現か。
問7 「従此君王不早朝」は、玄宗のどのような変化を示しているか。
問8 「承歓侍宴無閑暇」の「無閑暇」の主語は誰か。
問9 「三千寵愛在一身」とはどのような意味か。
問10 「姉妹弟兄皆列土」となったのはなぜか。
問11 「遂令天下父母心不重生男重生女」となった理由を説明せよ。
まとめ
『長恨歌』①では、楊貴妃の並外れた美貌と、それに魅了された玄宗が彼女を深く寵愛する様子が描かれます。
特に、「従此君王不早朝」は、玄宗が楊貴妃への愛に夢中になり、政治をおろそかにし始めたことを示す重要な一句です。
また、玄宗の寵愛によって楊貴妃の一族まで栄えたため、世間では男児より女児の誕生を重んじるようになったと描かれています。
続く②では、玄宗と楊貴妃の華やかな生活が頂点に達したのち、「漁陽鞞鼓動地来」によって状況が一変し、楊貴妃の死へと物語が進んでいきます。