ここでは、平家一門の滅亡と自分の死を覚悟した忠度が、和歌の師・藤原俊成に最後の願いを託す場面を扱います。
前回までの内容
都落ちした忠度は、危険を冒して都へ引き返し、俊成の屋敷を訪れました。俊成は忠度が戻ってきたのには事情があると考え、門を開けて対面します。ここから忠度が、なぜ都へ戻ってきたのかを俊成に語ります。
現代語訳・敬語・助動詞・解説
薩摩守のたまひけるは、「年ごろ申し承つて後、おろかならぬ御ことに思ひまゐらせ候へども、この二、三年は、京都の騒ぎ、国々の乱れ、しかしながら当家の身の上のことに候ふ間、疎略を存ぜずといへども、常に参り寄ることも候はず。
薩摩守がおっしゃったことには、「長年の間、和歌をお教えいただいてからは、(あなたのことを)並々ならず大切に思い申しておりますけれども、この二、三年は、京都の騒ぎや国々の反乱など、すべて平家一門の身の上に関することでございましたので、(歌道を)おろそかに思っていたわけではありませんが、いつも参上することもできませんでした。
○「年ごろ申し承つて」…忠度が何年も俊成から和歌の指導を受けたこと。
○「おろかならぬ御こと」…忠度が俊成のことを並一通りではない大切なものに思っていること。(和歌のこと、ととることもある。)
・おろかなり…おろそかだ、いい加減だ。
・まゐらす…謙譲の補助動詞。
・しかしながら…すべて、ことごとく。
○当家…平家のこと。
・疎略…おろそかに扱うこと。
・存ず…存じます、思います。(「思ふ」の謙譲語)
なぜ忠度は俊成のもとへ通えなかったのか。
京都や国々で、平家にかかわる争乱が続いていたため。忠度は和歌を軽んじていたのではなく、平家一門の情勢のために俊成のもとへ通う余裕がなかった。
君すでに都を出でさせたまひぬ。一門の運命はや尽き候ひぬ。
安徳天皇はすでに都をお出になりました。平家一門の運命は、もはや尽きてしまいました。
○君…安徳天皇のこと。
「一門の運命はや尽き候ひぬ」
忠度は、平家一門の滅亡が避けられないことを悟っている。同時に、自分自身の死も覚悟している。
撰集のあるべき由承り候ひしかば、生涯の面目に、一首なりとも御恩を蒙らうど存じて候ひしに、やがて世の乱れ出できて、その沙汰なく候ふ条、ただ一身の嘆きと存じ候ふ。
(勅撰和歌集の)撰集があるだろうということをお聞きしておりましたので、一生の名誉として、一首であっても(勅撰集に自分の歌を入れていただくという)ご恩情を賜りたいと思っておりましたのに、すぐに世の中に戦乱が起こって、その撰集の話がなくなったことは、ただ私一人の嘆きと思っております。
・勅撰集…天皇の命令によって編纂された和歌集。俊成は勅撰和歌集を選ぶ立場にあった。
・生涯の面目…一生の名誉。
○「御恩を蒙る」…俊成の恩情を受け、勅撰和歌集に自分の和歌を一首でも入れてもらうこと。
忠度が都へ引き返した目的
忠度は、自分の和歌を一首でも勅撰和歌集に収めてもらいたいという願いを俊成に託すため、命の危険を冒して都へ引き返してきた。
世静まり候ひなば、勅撰の御沙汰候はんずらん。
世の中が静まりましたならば、勅撰和歌集を編纂するというご命令もあることでしょう。
・~んずらむ…~だろう。
○この後、実際に世の中が静まると、俊成は『千載和歌集』を撰集することになります。
これに候ふ巻物のうちに、さりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩を蒙つて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ。」とて、
ここにございます巻物の中に、選ばれるのにふさわしい歌がございましたならば、一首でもご恩情を賜って(勅撰集に入れていただき)、墓の下にいても、うれしいと思うことができましたなら、遠いあの世から末長くあなたをお守りする者でございましょう。」と言って、
・さりぬべきもの…選ばれるのにふさわしい歌。
・草の陰にて…死んで葬られ、墓の下にいること。転じて、あの世で。
「草の陰にてもうれし」
忠度は、自分が死んだ後であっても、自分の和歌が勅撰集に入ればうれしいと述べている。
○「遠き御守り」…忠度が死後、俊成を遠くから守るということ。自分の願いをかなえてくれた俊成への深い感謝を表す。
日ごろ詠みおかれたる歌どものなかに、秀歌とおぼしきを百余首書き集められたる巻物を、今はとて打つ立たれける時、これを取つて持たれたりしが、鎧の引き合はせより取り出でて、俊成卿に奉る。
日ごろ詠んでおかれた多くの歌の中から、秀歌と思われるものを百首あまり書き集めておかれた巻物を、「もはやこれまで」と覚悟して都を離れた時に取り出して持っておられたが、それを鎧の引き合わせから取り出して、俊成卿に差し上げる。
・奉る…差し上げる。(「与ふ」の謙譲語)
○巻物…忠度が日ごろ詠んだ歌の中から、秀歌と思うものを自分で百首余り選んで書き集めたもの。
なぜ忠度は都落ちの時に巻物を持っていたのか。
忠度は「今はこれまで」と死を覚悟して都を離れる時にも、自分の秀歌を集めた巻物を鎧の中に入れて持ち出していた。武士として戦場へ向かう状況でも、歌人としての思いを最後まで捨てていなかった。
忠度は「平家一門の運命は尽きた」と考え、自分の死も覚悟している。
それでも、歌人として自分の和歌を一首でも勅撰和歌集に残したいと強く願っている。
その願いを託すために、百首余りの秀歌をまとめた巻物を俊成に渡した。
武士として滅びに向かう忠度と、歌人として後世に名を残そうとする忠度の二つの姿が重なっている。