『伊勢物語(いせものがたり)』第八十二段「渚の院(なぎさのいん)」の現代語訳・品詞分解・解説です。
惟喬の親王(これたかのみこ)が、馬の頭たちを連れて、桜の盛りに水無瀬の離宮へ出かけた一日を描いた話です。渚の院の桜、天の河、山の端に入る月と、場面ごとに三組の歌が詠み交わされます。有名な「世の中にたえて桜のなかりせば」の反実仮想、「なむ」の識別、歌に詠まれた気持ちがよく問われます。
原文の読み方
原文の一語一語に、活用や助動詞・助詞の意味を示しています。緑の下線は敬語です。下のボタンで、用言・助動詞・助詞などのラベルを別々に出したり消したりできます。ラベルを押すと古典文法一覧の説明に飛びます。
現代語訳・品詞分解・解説
水無瀬の離宮
現代語訳昔、惟喬の親王とお呼び申し上げる皇子がおいでになった。
- 惟喬の親王
- 文徳天皇の第一皇子。
「申す」は謙譲語、「おはしまし」は尊敬語で、どちらも作者から惟喬の親王への敬意。
- 山崎
- 地名。今の京都府と大阪府の境のあたり。
- あなた
- 向こう。
- 水無瀬
- 地名。
- 宮
- 離宮。
現代語訳毎年、桜の花盛りには、その離宮へお出かけになった。
- 年ごと
- 毎年。
「なむ」の結びは「ける」(連体形)。
現代語訳そのころ、右馬寮の長官であった人を、いつもお供に連れておいでになった。
- 右の馬の頭
- 右馬寮(朝廷の馬を管理する役所)の長官。
- 率る
- 引き連れる。
現代語訳時代が移り、ずいぶん年月が過ぎてしまったので、その人の名は忘れてしまった。
- 時世
- 時代。年月。
「その人」は、右の馬の頭であった人。
現代語訳(一行は)鷹狩りにはあまり身を入れず、ひたすら酒を飲みながら、和歌を詠むことに夢中だった。
- ねむごろなり
- 熱心だ。
- やまと歌
- 和歌(漢詩に対していう)。
- かかる
- 熱中する。
鷹狩りは熱心にしないで、酒を飲んでは和歌に熱中していた。狩りは名目で、酒と和歌を楽しむ風流な集まりだったのである。
渚の院の桜
- 交野
- 地名。鷹狩りの場所として知られた。
- 院
- 邸宅。ここでは渚の院。
- ことに
- とりわけ。
- おもしろし
- 趣がある。美しい。
現代語訳その(桜の)木の下に(馬から)下りて座り、枝を折って、髪飾りとして(冠に)挿して、身分の高い者も中ほどの者も低い者も、みな歌を詠んだ。
- おりゐる
- (馬から)下りて座る。
- かざし
- 髪や冠に挿す花や枝。
「上、中、下」は、身分の上・中・下の人々。身分に関係なく、みなが歌を詠む、打ち解けた集まりだった。
「詠める」の下に「歌」が省略されている。
現代語訳世の中にまったく桜がなかったならば、(花の咲くのを待ったり散るのを惜しんだりすることもなく)春の人の心はのどかであろうに。
- たえて〜なし
- まったく〜ない。
「…せば…まし」は反実仮想(もし〜だったら、…だろうに)。実際には桜があるので、咲くのを待ち、散るのを惜しんで、春の人の心は落ち着かない。
桜がなければよいと詠みながら、それほど人の心を動かす桜をいとおしむ気持ちを表している。
- また人
- 別の人。
「なむ」の結びは「ける」(連体形)。
現代語訳散ってしまうからこそ、桜はよりいっそうすばらしいのです。つらいこの世に、いつまでも変わらないものなど何があるでしょうか(いや、何もありません)。
- いとど
- いっそう。
- めでたし
- すばらしい。
- 憂し
- つらい。
「こそ」の結びは「めでたけれ」(已然形)、「か」の結びは「べき」(連体形)。「か」は反語。三句切れ。
散るからこそ桜はすばらしいと、前の歌に反論する形で、この世に永遠に続くものはないという無常の思いから桜をたたえている。
天の河のほとり
- 御供
- お供。
「持たせて」は、従者に酒を持たせて、ということ。
現代語訳この酒を飲んでしまおうというので、よい場所を探していくと、天の河という所に着いた。
「飲みてむ」の「て」は強意の助動詞「つ」の未然形、「む」は意志。「飲んでしまおう」と訳す。
現代語訳親王に馬の頭が、お酒をさし上げる。
- まゐる
- さし上げる(謙譲語)。
「まゐる」は、作者から親王への敬意。
現代語訳親王がおっしゃるには、「『交野で狩りをして、天の河のほとりに着いた』ということを題として歌を詠み、それから杯をさしなさい。」とのことだったので、
- のたまふ
- おっしゃる(「言ふ」の尊敬語)。
- 杯をさす
- 杯に酒をついで人にすすめる。
親王は、「交野を狩りて、天の河のほとりに至る」を題にして歌を詠み、それから杯をすすめよ、と命じた。
現代語訳あの馬の頭が詠んでさし上げた(歌)。
- 奉る
- さし上げる(「与ふ」の謙譲語)。
「奉りける」の下に「歌」が省略されている。
現代語訳日暮れまで狩りをして過ごし、(今夜の)宿は織女に借りるとしよう。ちょうど天の河原に、私は来ているのだから。
- 狩り暮らす
- 一日じゅう狩りをして過ごす。
- たなばたつめ
- 織女(織姫)。
七夕の伝説をふまえ、地名の「天の河」を空の天の川に見立てて、織女に宿を借りようと詠んでいる。
「宿からむ」で切れる三句切れ。下の句(天の河原に来たのだから)が、上の句(宿を借りよう)の理由になっている。
現代語訳親王は、その歌をくり返しくり返し声に出して味わわれて、返しの歌をお詠みになることができない。
- かへすがへす
- くり返しくり返し。
- 誦ず
- 声に出して読む。口ずさむ。
- 返し
- 返歌。
親王が返歌できなかったのは、馬の頭の歌があまりにみごとで、感じ入ってしまったから。
現代語訳紀有常が、お供としてお仕えしていた。その(有常の)返歌、
- 紀有常
- 人名。親王のお供をしていた。
「仕うまつれ」は謙譲語で、作者から親王への敬意。
現代語訳(織女は)一年に一度だけおいでになるお方(彦星)を待っているので、ほかに宿を貸す人もいないだろうと思います。
「ひととせにひとたび来ます君」は彦星(牽牛星)。織女は年に一度来る彦星を待っているのだから、ほかの人(馬の頭)に宿を貸すことはないだろう、と馬の頭の歌に切り返している。
「ます」は尊敬の補助動詞で、詠み手の有常から彦星への敬意。
「ぞ」の結びは「思ふ」(連体形)。
山の端に入る月
現代語訳(親王は水無瀬へ)戻られ、離宮の中へお入りになった。夜ふけまで酒をくみかわし、語り合って、
- 物語す
- 話をする。
「せたまひ」は、「せ」と「たまひ」で尊敬を二つ重ねた言い方(最高敬語)で、作者から親王への敬意。
現代語訳主人の親王は、酔って奥の寝所にお入りになってしまおうとする。十一日の月も、山の端に隠れてしまいそうなので、あの馬の頭が詠んだ歌。
- あるじ
- 主人。
「入りたまひなむ」の「な」は強意の助動詞「ぬ」の未然形、「む」は意志。「隠れなむ」の「な」も強意で、「む」は推量。
「詠める」の下に「歌」が省略されている。
現代語訳まだ見足りないのに、もう月が隠れてしまうのか。山の端よ、逃げていって、月を入れないでおくれ。
- 飽く
- 満足する。
- 〜なくに
- 〜ないのに。
- まだき
- 早くも。
「月」は、寝所に入ろうとする親王をたとえている。月が山の端に隠れるのを惜しむ形で、親王を引きとめ、もっといっしょに過ごしたい気持ちを詠んでいる。
「なむ」は、他にあつらえ望む終助詞(〜てほしい)。未然形「あら」に付いている。
現代語訳親王の代わりとなって、紀有常が(詠んだ歌)、
親王の代わりに、紀有常が馬の頭の歌に答えたのである。「たてまつり」は謙譲の補助動詞で、作者から親王への敬意。
現代語訳どの峰もみな平らになってしまえばよい。山の端さえなければ、月も沈みはしないだろうに。
- おしなべて
- 一様に。すべて。
「なりななむ」は、強意の助動詞「ぬ」の未然形「な」+願望の終助詞「なむ」(なってしまってほしい)。
山の端がなければ月も入らないだろうと、馬の頭と同じように、親王を引きとめたい気持ちを詠んでいる。
『伊勢物語』のほかの章段:初冠 / 月やあらぬ / 東下り① / 東下り② / 狩りの使ひ / 関守・つひにゆく道 / 小野の雪
テスト予想問題
A 読み・語句
次の語の読みを現代仮名遣いで答えよ。
①惟喬の親王
②水無瀬
③右の馬の頭
④時世
⑤交野
⑥上、中、下
⑦大御酒
⑧誦じ
⑨紀有常解答を見る
①これたかのみこ
②みなせ
③みぎのうまのかみ
④ときよ
⑤かたの
⑥かみ、なか、しも
⑦おおみき
⑧ずし
⑨きのありつね次の語の本文中での意味を答えよ。
①あなた
②率る
③ねむごろなり
④ことに
⑤おもしろし
⑥いとど
⑦めでたし
⑧まだき
⑨おしなべて解答を見る
①向こう
②引き連れる
③熱心だ
④とりわけ・特に
⑤趣がある・美しい
⑥いっそう
⑦すばらしい
⑧早くも
⑨一様に・すべて
B 文法
次の【 】の助動詞について、意味と活用形を答えよ。
①右の馬の頭【なり】ける人
②やまと歌にかかれ【り】けり
③馬の頭なりける人の詠め【る】
④酒を持た【せ】て
⑤宮に入ら【せ】たまひぬ
⑥天の河原にわれは来に【けり】解答を見る
①断定・連用形
②存続・連用形
③完了・連体形
④使役・連用形
⑤尊敬・連用形
⑥詠嘆・終止形次の傍線部の「なむ」を文法的に説明せよ。
①その宮へ【なむ】おはしましける
②酔ひて入りたまひ【なむ】とす
③山の端逃げて入れずもあら【なむ】
④峰も平らになりな【なむ】解答を見る
①係助詞(強意)。結びは「ける」
②「な」=強意「ぬ」の未然形、「む」=意志「む」の終止形
③未然形に付いて「〜てほしい」と願う終助詞
④「な」は強意「ぬ」の未然形、「なむ」は③と同じ願望の終助詞次の傍線部の敬語の種類と、だれからだれへの敬意かを答えよ。
①惟喬の親王と【申す】親王
②大御酒【まゐる】
③【のたまう】ければ
④ひととせにひとたび来【ます】君解答を見る
①謙譲語・作者から惟喬の親王へ
②謙譲語・作者から惟喬の親王へ
③尊敬語・作者から惟喬の親王へ
④尊敬語(補助動詞)・紀有常から彦星(牽牛星)へ
C 現代語訳・内容
「狩りはねむごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれりけり」を現代語訳せよ。また、「上、中、下、みな歌詠みけり」の「上、中、下」とは何の上・中・下か。
解答を見る
訳=鷹狩りにはあまり身を入れず、ひたすら酒を飲みながら、和歌を詠むことに夢中だった。上、中、下=身分(の上・中・下)。
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」について、①「…せば…まし」の表現を何というか。②現代語訳せよ。③実際はどうだと言っているのか、説明せよ。
解答を見る
①反実仮想。②もしこの世に桜というものがまったくなかったら、春をすごす人の心はのどかだろうに。③実際には桜があるので、咲くのを待ち、散るのを惜しんで、春の人の心は落ち着かない。
「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき」について、①係助詞とその結びの語を二組抜き出せ。②現代語訳せよ。
解答を見る
①こそ―めでたけれ、か―べき。②散ってしまうからこそ、桜はよりいっそうすばらしい。つらいこの世に、いつまでも変わらないものなど何があろうか、いや、何もない。
「返しえしたまはず」を現代語訳せよ。また、親王がそうなったのはなぜか。
解答を見る
訳=返歌をすることがおできにならない。理由=馬の頭の歌があまりにみごとで、感じ入ってしまったから。
「ひととせにひとたび来ます君待てば宿かす人もあらじとぞ思ふ」について、①「君」とはだれか。②この歌は、馬の頭の歌に対してどのように答えているか、説明せよ。
解答を見る
①彦星(牽牛星)。②織女は年に一度来る彦星を待っているのだから、ほかの人(馬の頭)に宿を貸すことはないだろう、と馬の頭の歌に切り返している。
「あかなくにまだきも月の隠るるか山の端逃げて入れずもあらなむ」について、①「月」は何をたとえているか。②この歌にこめられた気持ちを説明せよ。
解答を見る
①惟喬の親王。②寝所に入ろうとする親王を引きとめ、もっといっしょに過ごしたいという気持ち。