これも今は昔、忠明と いふ 検非違使 あり けり。それが 若かり ける時、清水の橋のもとにて京童部どもといさかひを し けり。
これも今はなっては昔のことだが、忠明という検非違使がいた。彼が若かった時、清水寺の橋の下のところで、京童部たちとけんかをした。
・検非違使…治安維持などにあたる役人。
・いさかひ…争い、けんか。
・京童部…京の若者、ごろつき。
京童部手ごとに刀を 抜き て、忠明を 立てこめ て 殺さ んと し ければ、忠明も太刀を 抜き て、御堂ざまに 上る に、御堂の東のつまにも、あまた 立ち て 向かひ合ひ たれば、
京童部たちが手に手に刀を抜いて、忠明を取り囲んで殺そうとしたので、忠明も太刀を抜いて、本堂の方に上ると、本堂の東側の端にも(京童部たちが)たくさん立ち向かってきたので、
・手ごとに…それぞれの手に。
・つま…端。軒下。
・あまた…たくさん、大勢
内へ 逃げ て、蔀のもとを脇に 挟み て前の谷へ 躍り落つ。
(忠明は)内側へ逃げて、蔀の下の部分を脇に挟んで前の谷に飛び落りる。
・蔀…格子を取り付けた板戸。窓のようなもの。
蔀、風に しぶか れて、谷の底に、鳥の ゐる やうにやをら 落ち にければ、それより 逃げ て 往に けり。
蔀が風に支えられて、谷の底に鳥がとまるようにゆっくり落ちたので、そこ(=谷の底)から逃げていった。
・ゐる…とまる。ワ行上一段活用動詞「居る」。
・やをら…そっと、静かに。
京童部ども谷を 見おろし て、あさましがり 、立ち並み て 見 けれども、す べきやうも なく て、やみ にけりとなん。
京童部たちは谷を見下ろして、驚きあきれて、立ち並んで見たけれども、どうすることもできなくて、(けんかは)終わったということだ。
・あさましがる…驚きあきれる。
・すべきやうもなし…どうしようもない
・やむ…終わる。