欧陽文忠公嘗言、
欧陽文忠公 嘗て言ふ、
欧陽文忠公は、以前言った。
嘗…「かつテ」かつて、以前。
「有患疾者。
「疾を患ふ者有り。
「病気にかかった者がいた。
疾…病気。疾病。
医問其得疾之由、
医 其の疾を得るの由を問ふに、
医者がその病気になった理由を聞くと、
・由…理由
曰、『乗船遇風、驚而得之。』
日はく、『船に乗りて風に遇ひ、驚きて之を得たり。』と。
言うことには『船に乗って風に遭遇して、驚いてこの病気になった』と。
・之…「疾」を指す。
医取多年柂牙為柂工手汗所漬処、刮末、
医 多年の柮牙の柂工の手汗の漬くる所と為る処を取りて、刮りて末とし、
医者は長年使用した舵の、船頭の手の汗が付け込まれた所を取って、削って粉末にして、
・所A為B…受身「AのBする所となる」AにBされる。
→為 柂工手汗 所 漬…船頭の手の汗がつけられた。
雑丹砂・茯神之流。飲之而愈。
丹砂・茯神の流ひに雜ふ。之を飲みて癒ゆ。
丹砂・茯神の類に混ぜた。これを飲んで病気が治った。
・丹砂・茯神…漢方薬。
〇船の上で風に驚いて病気になった患者に対し、船に慣れている船頭の手の汗が染みこんだ粉末を呑む(ことで、船頭のようになれる?)という治療。
今『本草注別薬性論』云、
今『本草注別薬性論』に云ふ、
今、『本草注別薬性論』に書いてあることには、
『止汗、用麻黄根節及故竹扇、為末服之。』」
『止汗には、麻黄の根節及び故き竹扇を用ゐ、末と為して之を服す。』」と。
『汗を止めるには、麻黄の根や節と古い竹の扇を使って、粉末にしてこれを服用する。』と。」
〇扇を粉末を飲むことで(扇の力を身につけて?)汗をとめるという治療。
文忠因言、
文忠因りて言ふ、
文忠公はそこでいった、
因…「よリテ」そこで。
「医以意用薬、多此比。
「医の 意を以つて薬を用ゐること、此の比ひ多し。
「医者が(患者が病気になった)気持ちを考えて薬を用いることは、このようなことが多い。
・以意…気持ちを考えて
初似児戯、然或有験。
初めは児戯に似たりとするも、然れども或いは験有り。
はじめは子供の遊びのようだと思ったが、ことによると実際に効き目がある。
・然…「しかれども」と読むときは逆接「しかし」
・験…効果
殆未易致詰也。」
殆ど未だ致詰し易からざるなり。」と。
おそらく疑ってばかりもおれない。」と。
殆…「ほとんど」ほとんど、~に近い。
未…再読文字「未だ~ず」まだ~でない。
易…易しい、容易
・致詰…突き詰めること。
〇未易致詰…直訳すると「いまだ、つき詰めることは容易ではないのに近い」→物事をすべて知り尽くすことはまだできないので、疑ってばかりいるのはよくない、ということ。
予因謂公、
予因りて公に謂ふ、
私はそこで文忠公に言った、
・予…私
「以筆墨焼灰飲学者、当治昏惰耶。
「筆墨を以つて焼きて灰となし学ぶ者に飲ましめば、当に昏惰を治すべけんや。
「筆や墨を焼いて灰にして学ぶ者に飲ませると、愚かで怠惰なことを治すことができるでしょうか、いや、できるはずがない。
〇再読文字「当に~べし」と反語「耶」の組み合わさった形。「~することができるだろうか、いやできない」
※「べし」から反語で読む場合、「べけんや」となる。
推此而広之、
此れを推して之を広めば、
このことをさらに広げれば、
則飲伯夷之盥水、可以療貪、
則ち伯夷の盥水を飲まば、以つて貪を療やすべく、
伯夷の手を洗った水を飲んだら、欲深さを治すことができ、
・則…「すなはチ」~すれば。~するとその時には。
〇伯夷…清廉潔白な人物とされる。道徳に反する行為を拒否し、餓死した。
・貪…貪欲。欲深いこと。
食比干之餕余、可以已佞、
比干の餞余を食らはば、以つて佞を已むべく、
比干の食べ残しを食べたら、こびへつらいをやめることができ、
・比干…殷の紂王の暴虐な行いを正そうとして、怒りを買い殺された。権力者にこびへつらうことのない人物の典型とされる。
・已…「やム」
舐樊噲之盾、可以治怯矣。」
樊噲の盾を舐めば、以つて怯を治すべし。」と。
樊噲の盾をなめたら、臆病を治すことができるでしょう。」と。
・樊噲…命をかけて劉邦(前漢の初代皇帝)を助けた勇敢な人物。
※欧陽文忠公の話を広げると、こんなありえないことになるという例をあげている。
公遂大笑。
公遂に大いに笑ふ。
文忠公はとうとう大笑いした。
遂…「つひニ」とうとう、ついに。
欧陽文忠公の医以意用薬(患者の気持ちを病の原因だと考えて薬を調合する)ことにも意味があるかもしれないという意見に対し、弟子の作者(蘇軾)は様々な例を挙げてそんなことはありえないと反論し、欧陽文忠公は納得して大笑いした。