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『史記』鴻門之会⑤現代語訳・書き下し文

沛公已出。項王使都尉陳平召沛公。

沛公 すでに出づ。項王 都尉 陳平をして沛公を召さしむ。

沛公はもう出てしまった。(沛公が戻らないので)項王は都尉の陳平に沛公を呼びに行かせた。

沛公曰、「今者出未辞也。為之奈何。」

沛公曰はく、「今者(いま)、出づるに未だ()せざるなり。之を為すこと奈何(いかん)。」と。

沛公は(樊噲に)言うことには「いま、出るときに、まだ別れのあいさつをしていない。これ(別れのあいさつ)をするにはどうすればよいか。」と。

・辞…別れのあいさつ。

※「辞」…「辞退する」「別れを告げる(辞去)」「言葉(辞書)」などの意味がある。

奈何(いかん)…どうすればよいか。(手段・方法を問う)

樊噲曰、「大行不顧細謹、大礼不辞小譲。

樊噲曰はく、「(たい)(かう)(さい)(きん)を顧みず、(たい)(れい)(せう)(じやう)を辞せず。

樊噲が言うことには「大事を行うときに、ささいな慎みなど問題にしませんし、大事な礼を行うときには、小さな譲り合いなどは問題にしません。

「天下をとる」という重大な事と比べれば、「あいさつをする」などという小さなことは気にしなくてよい、無事に逃げることを優先するべきだということを言っている。

如今人方為刀俎、我為魚肉。何辞為。」於是遂去。

如今(いま)、人は(まさ)(たう)()たり、我は魚肉たり。何ぞ辞することを為さん。」と。ここいて  (つひ)に去る。

いま、項王はちょうど包丁とまな板、私たちは魚や肉のようなものです。どうして別れのあいさつをすることがあるでしょうか、いや、する必要はありません。」と。そこで、そのまま去った。

・方「まさニ」ちょうど、まさに。

○人方為刀俎。我為魚肉

・「人」…項王のこと。

・「為~」…「~たリ」~である。

項王側を包丁とまな板、沛公側を魚や肉にたとえ、自分たちがいまにも項王に殺されてしまいそうな危険な状況にあることをいっている。

乃令張良留謝。

(すなは)ち張良をして留まり謝せしむ。

そこで張良に、その場にとどまって(項王に)謝罪させることにした。

良問曰、「大王来、何操」

良問ひて曰はく、「大王 来たるとき、何をか()れる。」と。

張良が(沛公に)尋ねて言うことには「大王は、ここへ来られるときに、何をお持ちになりましたか。」と。

曰、「我持白璧一双、欲献項王、玉斗一双、欲与亜父、会其怒不敢献。

曰はく、「我 白璧一双を持し、項王に献ぜんと欲し、(ぎよく)()一双をば、亜父に与へんと欲せしも、其の怒りに会ひて、敢へて献ぜず。

(沛公が)言うことには、「私は一対の白璧を持って、項王に差し上げようとし、一対の玉斗を亜父に与えようとしたのが、彼らの怒りにあって、差し上げることができなかった。

公為我献之。」張良曰、「諾。」

公 我が(ため)に之を献ぜよ。」と。張良曰はく、「謹みて(だく)す。」と。

お前は、私のためにこれを差し上げてくれ。」と。張良が言うことには、「謹んで承知いたしました。」と。

当是時、項王軍在鴻門下、沛公軍在覇上。相去四十里。

是の時に当たり、項王の軍は鴻門の下に在り、沛公の軍は覇上に在り、相去ること四十里なり。

このとき、項王軍は鴻門のもとにあり、沛公軍は覇上にあって、互いの距離は四十里であった。

沛公則置車騎、脱身独騎、与樊・夏侯嬰・彊・紀信等四人、持剣盾歩走、従山下、道陽間行。

沛公 則ち車騎を置き、身を脱して独り騎し、樊噲・()(こう)(えい)(きん)(きやう)()(しん)等四人の(けん)(じゆん)を持して歩走するものと、()(ざん)の下より、()(やう)に道して間行す。

沛公はそこで車と騎兵を残し、身一つ抜け出して、自分だけ馬に乗り、樊噲・夏侯嬰・靳彊・紀信ら四人の剣と盾とを持って走る者と、驪山のふもとから、芷陽を通って、こっそりと近道を通って帰った。

・従~…「~よリ」

沛公謂張良曰、「従此道至吾軍、不過二十里耳。度我至軍中、公乃入。」

沛公 張良に謂ひて曰はく、「此の道より吾が軍に至る、二十里に過ぎざるのみ。我の軍中に至るを(はか)り、公(すなは)ち入れ。」と。

沛公が張良に言うことには、「この道を通ってわが軍に至るまでは、たった二十里もない。私が軍に到着するころを見計らって、お前は(宴席に)入れ。」と。

度「はかル」見計らう、推測する。

○項王が怒って追ってくることを考え、自分が軍と合流し、安全を確保してから項王に告げるようにした。

鴻門之会⑥

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